
誰にも言えない不安がある。ひとり孤独を胸に抱えている。……そんな気持ちはきっと誰にでもあるでしょう。なかでも10代の若い世代に寄り添うガイドブックを届けたいとの想いから私たちはこの『10代のあなたのための文化的処方ガイド』を作りました。
目次

文化的処方という新しい視点
このガイドブックのテーマになっているのは「文化的処方」という考え方です。これは健康でない状態に対して医療的な薬だけでなく、アートや文化的活動を通して健康や幸福を育むという考え方です。音楽を聴いて気持ちが軽くなったり、絵を描いて心が落ち着いたり、誰かと一緒に映画を見て話が弾んだりする経験は、皆さんも日常的にしているはずです。そうした体験こそが「文化的処方」の本質です。
本書はEXPO 2025 大阪・関西万博で配布しましたが、巻末にPDFファイルがダウンロードできるリンクを設置しました。ぜひ、ひとりでも多くの人に読んでいただけたらと思います。
ある物語からのはじまり

ガイドブックは、不登校の高校生を主役にした物語『草原の向こうへ』から始まります。不登校になった理由も曖昧で、いじめがあったわけでもない。ただ「なんとなく教室が居づらくなってしまった」。そんな主人公の心境は、多くの若い人たちが経験する漠然とした不安や孤独感を表現しています。こうした「日常的な困りごと」を選んだのは、特別な問題を抱えていなくても、誰もが孤独を感じることがあるということを伝えたかったからです。そして、美術館での小さな出会いが、主人公の心に新しい風を吹き込む様子を描きました。多方面で人気のイラストレーターのサンダースタジオさんのイラストと共に物語を味わってください。
私たちが込めた想い
このガイドブックは、「文化的処方」という考え方を紹介するためだけに作られたものではありません。現代社会で孤独や不安を感じている若い世代(もちろん、若者世代だけではなく幅広い世代にも)に、「あなたは一人じゃない」「小さな一歩から始めていい」というメッセージを伝えたかったのです。
アートを難しく感じたり、美術館は自分と関係のない場所と思ったりする人もいるかもしれません。私たちは、アートや文化が持つ力を「文化的処方」という言葉で表現し、それが決して特別な人だけのものではないこと、誰もが気軽に取り入れられるものであることを伝えたいと考えました。自分らしい表現や体験を通して、心の中にある「生きている感じ」を大切にしてほしい。そんな願いを込めて、このガイドブックを作りました。
専門用語を身近に

ガイドブックには「望まない孤独」「文化リンクワーカー」「クリエイティブ・ヘルス」といった専門的な言葉も登場します。これらの用語は、一見難しそうに思えるかもしれませんが、実は皆さんの日常と深く関わっています。
例えば「文化リンクワーカー」は、物語に登場する佐藤さんのような存在です。人の話を丁寧に聞き、その人に合った文化活動を提案してくれる「つなぎ手」です。特別な資格が必要というわけではなく、誰かの関心を聞いて「こんな場所があるよ」「一緒に行ってみない?」と声をかける、そんな身近な存在なのです。
実際の社会での希望ある試み

三重県名張市の事例や、英国マンチェスターのセラピー犬マリーの話など、世界各地の実践例を紹介したのは、「文化的処方」が決して机上の理論ではないことを示したかったからです。
名張市の「まちの図工室」では、2歳の子どもから90歳のおばあさんまでが一緒にものづくりを楽しんでいます。文中に登場する59歳のNさんが小学生時代に絵で挫折した経験を乗り越え、再び創作への情熱を取り戻したエピソードは、どんな年齢からでも新しい自分と出会えることを教えてくれます。
専門家の声を借りて

桐山孝司さん(東京藝術大学教授)と西智弘さん(川崎市立井田病院医師)へのインタビューは、テクノロジーと人文、医療とアートという異なる分野から「文化的処方」を捉えることができます。
桐山さんは「テクノロジーは表に出なくて、体験の中身を持ち帰ってもらうことが何より必要」と語り、西さんは「アートの前では誰もがフラットになれる」と話しています。どちらも、テクノロジーや知識の前に「人」があることの大切さを伝えています。
小さな一歩からすべてがはじまる

「文化的処方を知る手引き」では、「少しだけクリエイティブなことを、まずは小さくやってみる」ことから始めることを提案しています。絵を描く、好きな音楽を聴いて日記を書く、美術館に行ってみる。どれも特別なスキルは必要ありません。大切なのは、完璧を目指すことではなく、「やってみる」ことです。冒頭の物語に登場するみおさんが北海道の馬の絵に心を動かされたように、アートや文化の体験は一人ひとりに響く「何か」があるはずです。
大阪万博での出会いから、これからへ

このガイドブックは大阪・関西万博での『文化的処方を体験しよう!Hello Future! 100年ミュージアム』という展示の際に配布しました。ガイドブックの中で紹介している3つの作品は展示の中で紹介され、多くの来場者がこの作品をはじめて見て、驚いたり、関心を持ってコメントを残しました。作品を「見る」というよりも、みんなが作品に「出会う」という体験をしていたことが印象的でした。作品との出会いは、あなたに新しいつながりを生むかもしれません。
万博が終わってからもこのガイドブックを多くの人に読んでもらいたいと思い。PDFとしてダウンロードできるようにしました。安心して孤独でいられる社会、一人ひとりが自分らしく生きられる社会。そんな未来への小さな道しるべとして、このガイドブックを手に取ってもらえればと思っています。
関連記事リンク:
「文化的処方を体験しよう!Hello Future! 100年ミュージアム」EXPO2025大阪・関西万博で開催
【10代のあなたのための文化的処方ガイド】(デジタル版)
企画: ああともTODAY編集部
監修・執筆: 稲庭彩和子(国立アートリサーチセンター主任研究員)
編集・執筆: 井上英樹(MONKEYWORKS)
表紙イラスト: サンダースタジオ
デザイン: TAKAIYAMA inc.
印刷: 株式会社シナノパブリッシングプレス
ISBN: 978-4-911341-11-7
発行: 独立行政法人国立美術館 国立アートリサーチセンター
〒102-0073 東京都千代田区九段北1-13-12 北の丸スクエア2F
東京藝術大学「共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点」
発行日: 2025年8月11日
Copyright ©2025 National Center for Art Research / ART-based Platform for Co-creation
本冊子に掲載されているテキスト、図版等を無断で複写、複製、転載することを禁じます。
※本冊子はJST 共創の場形成支援プログラム(JPMJPF2105)の支援を受けたものです。




