文化的処方について
文化的処方で社会課題を解決する
みなさんは「文化的処方」という言葉を聞いたことがありますか?
「処方」と聞くと、病院でもらう薬を思い浮かべる方が多いかもしれません。でも、私たちの心や社会のつながりに効く「処方」もあるのです。それが、アートや文化を通じた「文化的処方」という新しいアプローチです。
文化的処方とは
「文化的処方」とは、アートや文化活動をベースとした非医療的な健康に寄与する活動です。これまで健康には、食事、睡眠、運動の3つが重要とされてきましたが、近年では加えて「つながり」が重要だということがわかってきました。望まない孤独や孤立は、1日15本のタバコよりも害があり、私たちが従来考えているよりも寿命に大きく影響を与えるものだとわかってきました。そのように健康において重要視されてきた「つながり」ですが、アートや文化活動を介する文化的処方の特徴は、単に人との関係性だけでなく、自分の内側とのつながりも育むことができる点です。健康や幸福に生きる方法を考える上で、自分の内面とそして社会とのつながりを作るものとして、創造的な活動や文化的活動への参加に関心が高まってきているのです。
私たち人間は社会的動物であるために「つながり」と生きることは直結しています。そうしたつながりをケアするものとして、人々のコミュニティにはアートが生まれ、物語が語られ、互いの記憶や思いを共有しながら進化をしてきました。私たち人類が生存する上で、そうした創造的活動がいかに社会の安寧やウェルビーイングに役に立ってきたのかを想像してみると、文化的処方の効果について少し想像できるかもしれません。
文化的処方は、どんなふうに始まるのか。例えば、ある地域には文化リンクワーカーという「つなぎ手」となる人がいて、そのつなぎ手が、その人のこれまでの関心や好きな活動についてよく思いを聞き、その思いに基づいて、文化的活動を提案するところから始まります。例えば、今は病気がちで出かけなくなってしまったけれど、昔は美術館にいったことがあり楽しかったという人に対しては、美術館で絵を見ながら誰かと一緒におしゃべりをするプログラムに参加することを提案し、初めてそうしたプログラムに参加して気持ちがリフレッシュして、心に力が湧くということがあるかもしれません。地域の人たちと一緒に音楽を楽しんだり、創作活動を通じて新しい仲間と出会ったり。そんな体験が、自分とのつながり、他者とのつながりを生み出していくのです。
国際的な流れと日本での展開
文化的処方は、イギリスの「クリエイティブヘルス(創造的健康/Creative Health)」や「ソーシャル・プリスクライビング(社会的処方/ Social Prescribing)」を参照しながらも、日本のスタイルの「文化的処方」がどうある必要があるのか、検証しながら実践が進められています。私たちの10年間の研究プロジェクトとしては、大学と美術館などの文化機関、医療福祉関係機関、自治体、民間企業といった幅広い機関と連携しながら、日本全国9つの自治体で今現在(2025年)展開されています。
日本国内には多くの文化施設があります。ミュージアムだけでも5000以上あり、文化的処方の観点からそれらのミュージアムのコレクションをみると、私たちの心身の健康につながる地域の資源が実はたくさんあることに気がつきます。今はまだ健康という視点で地域の文化資源を見ていないかもしれませんが、市民がもっと主体的にそうしたミュージアムのコレクションに出会い、健康につながると考えたら、さまざまな可能性が広がるのです。
文化的処方がひらく未来
誰もが、時に孤独を感じ、つながりを求める——それは、人間として自然なことです。文化的処方は、そんな私たちに新しい可能性を提示してくれます。アートや文化には、言葉を超えて人と人とをつなぎ、心に響く力があります。
美術館や博物館、そして地域に息づく文化は、単なる鑑賞の対象ではなく、私たちの生きる力を育む大切な資源です。文化的処方を通じて、一人ひとりが自分らしく、創造的に生きられる社会へ。それは、すでに世界各地で静かに、確実に始まっています。