
三重県名張市に生まれた『まちの図工室』は、100年続いたクリーニング店の空き店舗を改装した、アートとものづくりの拠点です。管理人の山口貴一さんが家族とともに移住して1年。地域包括支援センター、まちづくり協議会、住民たちが少しずつ関わりを深め、文化的処方はまちの日常に溶け込もうとしています。
目次
1年前、まちに生まれた新たな拠点

三重県名張市の中心市街地、通称「旧町(きゅうちょう)」。江戸時代後期から昭和初期にかけての町家が軒を連ね、大阪・奈良と伊勢を結ぶ初瀬街道の宿場町として栄えたこの一帯は、今では観光客もまばらで、高齢化と人口流出がゆっくりと進んでいます。
2025年春、その旧町に新しい息吹がもたらされました。100年続いたクリーニング店の空き店舗を改装した『まちの図工室』が誕生したのです。「アート・ものづくりを通じて人々が交流する拠点」を掲げ、長岡造形大学の福本塁さんが立案し、同大学に所属しアーティストでもある山口貴一さんは静岡県浜松市から家族5人で名張に移住してきました。そして、『まちの図工室』で「管理人」として常駐しています。

まちの図工室の名前の通り、つくることを通じて人とまちが出会う、地域にひらかれた創造の場です。子どもも大人も、学生も地域の人も、まちの記憶や素材を混ぜ合わせて自分自身から生まれる表現を紡いでいきます。色鉛筆で塗り絵をしたり、木材を加工したりといったアナログの体験から、レーザーカッターや3Dプリンターを使うデジタルの制作まで、幅広い創作を行えます。
世代を超えた創作の場所へ

まちの図工室に入ると、壁面の作品が目につきました。これは『つくる つながる とける るるる』という作品です。木片に自由に色や形を加え、壁に貼り合わせていく参加型アートです。オープン当初はまっさらだった壁は、開設からわずか数か月で多くの人の表現で彩られました。2歳のお子さんから90歳のおばあさんまで、世代を超えて人が集まる場所になりました。
山口さんが「印象的な利用者」として挙げるのが、59歳のNさんです。幼い頃から絵が得意で数々の賞を取っていましたが、技術を磨くうちに「自分には才能がない」と思い込んでしまい、長く表現から離れていたそうです。それから数十年後。偶然まちの図工室を訪れ、『るるる』の木片に向き合ったとき、「作るって楽しい!」という感情が戻ってきました。Nさんの中で再び表現のスイッチが入ったのです。今では週に1回通い、まちの図工室を訪れる人を巻き込みながら制作を楽しんでいます。
アートを持ち帰ってもらうために

山口さんが名張に来るきっかけとなったひとつの体験を語ってくれました。コロナ禍、行動制限がかかり、外出もままならなかった時期のこと。山口さんは「アーティストにできることが、もっとあるんじゃないか」と自問自答するようになりました。転機となったのが福岡で行ったワークショップでした。石橋文化センターのシンボルだった大木が台風で倒れ、長年親しまれてきた風景が喪失してしまったのです。山口さんはその倒木を使い、新しい時代への「門」を参加者と共に作ろうと『門を 木で 大地に』というワークショップを開催しました。参加者と共にノコギリを引き、木の表面を磨き、一緒に手を動かすうち、参加者たちの顔に笑顔が溢れたそうです。「みんなが大事にしていた木だから、倒れた木をもう一度、みんなの手で違った意味のあるものにする。そういう提案ができた瞬間でした」と山口さんは当時を振り返ります。
「だけど……」と山口さんは続けます。「ワークショップでは、楽しそうな参加者の様子は見えます。一方で一過性のように感じたんです」。ワークショップが成功しても、その後に参加者にどのような影響があったかはわからない。「ものづくりをする人として無責任ではないか……。そんな風に感じたんですよね」。福本さんから名張の話を聞き、山口さんは感じました。「顔の見える場所で関わり続けることこそ自分が求めていた姿ではないか」。そんな思いを胸に、山口さんは家族とともに名張へやってきました。
100年の記憶を、未来へ渡す
まちの図工室がある場所には長い歴史があります。「パールクリーニング」として100年以上続いたクリーニング店。そこはまちの社交場のようなお店でした。この場所の縁者にあたるのが名張市役所に勤める田畑祐輔さんです。義父母と義祖父母の4人で切り盛りしていた店が、義父が亡くなったことで廃業せざるをえなくなり、「家を潰すのもお金がかかるし、とはいえいつまでも放置しておくわけにもいかないし」と、家族は対応を迷っていました。
ちょうどその頃、田畑さんは、近くでコワーキングスペース『FLAT BASE』を営む北森仁美さんが旧町の空き家活用に取り組んでいることを知り、この物件も内見できるようにしていました。旧町に残る空き家はおよそ180軒。地域の拠点となる場所を探していた福本さんは、北森さんたちの案内で、空き家を見て回っていました。そのなかで足を運び、「ビビッと来た」のがこの建物です。こうして「まちの図工室」が生まれたのです。

まちの図工室には今も「パールクリーニング」の看板が掲げられたまま。建物の役割は変わりましたが、店の当時の雰囲気はそのまま受け継いでいるようで、まだ営業していると思って洗濯物を抱えてやってくる人もいるほどです。改装時に出た木材などの廃材も、ほとんど捨てずに大切に保管しています。訪れた人が「ここはどういった場所だったのですか?」と尋ねるたび、そこで100年続いた営みの話が始まります。

「かつてこの場所で仕事をしていたおばあちゃんが『こんな風に使ってもらえてありがとう』と、すごく喜んでいました」と祐輔さんは目を細めます。「今までの歴史を途切れないように山口さんたちが繋いでくれている。それがうれしいですね」。
「未知数」という可能性

まちの人たちはこの場所をどう受け入れたのでしょう。名張市内15か所の「まちの保健室」(看護師などの専門職が健康・介護相談に応じる交流の場)を中心に、医療・介護・福祉・地域をつなぐネットワークを担う地域包括支援センター長の柴垣維乃さんが話してくれました。健康や生活の困りごとを「どこからでも繋がれる」窓口として支えてきた立場から見ても、まちの図工室の構想は「純粋にありがたい」と感じた一方で、「地域にフィットするかどうかは未知数でした」と言います。「名張には美術館のような芸術の拠点となる施設がありません。ですので、アートが地域でどういう反応を生むか、読めない部分がありました。でも、だからこそ面白いだろうなとも思ったんです。想像できることばかりでは、新しいものは生まれませんからね」。

「これまでなかったものに対する不安」が「期待」に変わったのは、山口さんの家族の存在でした。家族ぐるみで名張に住む覚悟が見えたことで、すぐにいなくなってしまう人じゃないんだな、と感じたといいます。「私の周りでもトップニュースでしたよ」と柴垣さんは笑います。
山口さんが名張にやってきて1年。まちの図工室は、名張のまちとさまざまな連携を見せています。木材を使ったドミノ作りや認知症カフェでのものづくり体験など、さまざまな団体とコラボレーションをしています。また、柴垣さんも「地域包括支援センターが進める介護予防事業として「ときめきアートの文化的処方」を採択し、圏域を広げながら動き始めています。「事業所間の連携がこれでいろいろ変化していくのが楽しみですね」。
ノン・ネイティブ・ナバリアンの挑戦

まちの図工室に通い続ける市民の一人、橋爪博志さんは長野から大阪を経て名張に移住してきた「引っ越し組」です。前職は画材メーカーに勤務していて、「画材をどう使うか」を長年追いかけてきた人物です。まちの図工室の存在を知り、この場所で教室を開くことになりました。「公民館で開催するよりも、まちなかにあるこの場所がいいと思って」と笑います。今では第2・第4土曜日に教室を開催し、偶然通りかかった人が参加することも増えてきたそうです。橋爪さんのスタイルは自由です。「ここはこう描くんだよ」と教えるのではなく、来た人とワイワイやる。年配の方と小学生が混じって一緒に塗ることもある。その緩やかさが、まちの図工室らしいのではないかと橋爪さんは感じています。

一方、橋爪さんは旧町と周辺地域のギャップが気になると言います。「僕が住んでいるところは、旧町周辺の新興住宅街。住民の多くは高齢化しており、退職した人が多い。空き家予備軍がいっぱいある。だから、まちの中心だけが盛り上がってもだめなんですね。旧町の外側、周囲の地域とのギャップをどうにかしないといけません」。「引っ越し組」である自身を「ノン・ネイティブ・ナバリアン」と呼ぶ橋爪さん。よそ者だからこそ名張の面白さが見える。旧町と周辺をつなぐ役割を、まちの図工室を拠点のひとつとして自分なりに担おうとしています。
ときめきが、まちを変える

名張地区まちづくり協議会の田畑純也会長は、40年以上地域づくりに携わってきた人物です。まちの図工室の第一印象をこう明かします。「こんなところで何をするんや、と。正直わからなかったですよ、文化的処方? 文化ってなんやねんてな感じですよ(笑)」。しかし、新しい試みを拒否はしませんでした。田畑会長は15年前に子ども食堂を始めるなど、地域にとって「良いな」と感じたものは受け入れて実行していくことを大切にしてきた方です。「こんなところで何をするんや」という戸惑いは、まちの図工室側と対話を重ねていくうちに消えていきました。「腹落ちしたのは、理論じゃなくて人でしたね。山口さんは本当に真面目な人で、一緒に動いてくれる。自分と考えが違う部分があっても、受け入れて一緒に話してくれる。だから信用できたんです」。

田畑会長は、福本さんや山口さんたちが時折口にする「ときめき」というキーワードが心に響いたと言います。「初めは『ときめき』という言葉はね、何のことだろうと思ってたんですよ(笑)。でも、一緒になって考えたり、行動しているうちにわかってきた。名張にある『ときめき』を探しながら、ほかの地域に発信して社会実験をやっていく。山口さんたちと、『ときめき』を探す旅を一緒に楽しんでいこうという感覚です。まちの図工室ができて、名張にいろんな感性が入ってきています。自分だけの考えじゃないところから斬新なものが来る。それが非常にありがたいですね」。
この場所が生まれてまちで変わったことを尋ねると、田畑会長はこう続けます。「いろんな地域の人が来て絵を描いたり、ものづくりをする場所になってきている。いろんな広がりが出てきて、ここの存在価値が出てきていますよ。それは、やっぱり山口さんたちの思いがあるから広がっていくんです。山口さんが実際にここにいて、思いを持って活動しているからですね」。
顔の見える場所で、継続して関わる。そんな思いで名張にやってきた山口さん。彼が大切にしてきた思いは、まちの図工室を通じて少しずつ地域に届き、それぞれの暮らしや活動の中で、新たな動きを生み出しています。

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