超高齢社会におけるアートの可能性(前編)

⸺ミュージアム・医療・福祉の連携を通して⸺

| [写真]斉藤有美[インタビュー]稲庭彩和子[構成]井上英樹

「Creative Ageing ずっとび」は、超高齢社会に対応し東京都美術館(以下、都美)と東京藝術大学(以下、藝大)が取り組むプロジェクトです。
Creative Ageingとは、創造的に年を重ねるという意味で、「歳を重ねる」ことをポジティブに捉えています。ずっとびは、東京都美術館の愛称である「都美(とび)」に「ずっと」をつなげた言葉です。いくつになっても、ずっと、美術館や美術が身近にある社会を目指して、東京藝術大学との連携をはじめ専門分野を超えた研究と実践を重ねています。 今回は、ずっとびに関わる4人の方からお話を伺いました。前編と後編に分けてお送りします。

手探りで始まったプログラム作り

4人の人が並んでいる。左から、のもとさん、ちがさきさん、ふじおかさん、かなはまさん
写真左から野本さん、千ヶ﨑さん、藤岡さん、金濱さん 

稲庭:本日はありがとうございます。では、自己紹介からお願いします。

金濱:藝大の金濱陽子と申します。Creative Ageing ずっとびのプログラムオフィサーをしています。これまでの美術館の活動に加えて、シニアの方々がより主体的で創造的に楽しめる機会をつくるプログラムを作成しています。

藤岡:都美の学芸員の藤岡勇人です。金濱さんと共に病院や福祉の方々と連携しながら、プログラムの実施と調査研究を進めています。元気なシニア層だけでなく、アートが好きだけど身体的なハードルから美術館を疎遠に感じてしまう方々にも、美術館の作品や建物を介して様々な「つながり」と「コミュニケーション」が生まれるような社会参加の機会を増やしたいと考えています。

話をする5人
左から金濱さん、千ヶ﨑さん、ああとも稲庭(手前)、藤岡さん、野本さん

千ヶ﨑:台東区社会福祉協議会の千ヶ﨑賀子です。地域福祉コーディネーターをしています。地域福祉コーディネーターは、地域で多世代が支え合う仕組みを作り出す福祉の専門職です。住民と共に課題を吸い上げ、解決に向けて何ができるかを進めています。

野本:台東区立台東病院で作業療法士をしている野本潤矢です。一般的に作業療法士はリハビリテーションを担当します。私の所属する台東病院のリハビリ室は、院内だけでなく、地域社会に向けても積極的に活動をしています。たとえば、病院のロビーで認知症カフェ『喫茶Y・O・U』を2017年から開いています。そこに東京都美術館から藤岡さんたちが視察に来ていただき、アートの世界と関係性ができました。

稲庭:美術館でアートや文化を介して健康につながる活動は、日本ではまだ始まったばかりです。先行して取り組んできたイギリスではこの分野の活動を最近では「クリエイティブヘルス」と呼んで、より地域密着で広がりを見せているようですが、今日はここ都美の地元である東京都台東区で、医療、福祉、美術館がどのように連携プレーをしているのかについてお話をお聞きしたいと思います。

藤岡:都美と地域の福祉医療とのつながりは2019年ごろから始まり、当時は稲庭さんが担当として連携の立ち上げを模索され始めていました1。コロナ禍でプログラムの具体化が難しい状況になってしまったという経緯がありましたが、アートを介したコミュニケーションが、認知症の方のQOL(クオリティ・オブ・ライフ:生活の質、生命の質)につながることが先行事例から分かってきていましたので、私が都美に着任した2021年に、コロナ禍でも実施が可能だったオンラインのプログラムをまず実施しました。

編集部:都美では、2021年に認知症の方とご家族を対象としたオンラインプログラム『おうちでゴッホ展』を開催していますね。

藤岡:はい、都美で初めて認知症の方を対象に開催したプログラムです。オンラインで参加者たちとアート・コミュニケータ(通称:とびラー)と美術館をつないで、その時展示されていたゴッホやルノワールの作品を鑑賞しました。また、『おうちでゴッホ展』の実施と並行して、美術館としては、どうにか地域の福祉・医療セクターと連携した活動を開始したいと考えていました。そこで、この今いるアートスタディルームで社会福祉協議会の方や医療、介護関係者の方々と「地域つながり会議」を開催し、『おうちでゴッホ展』のことをお話しし、各地域包括支援センター、ケアマネージャー、台東区役所の方に対して、美術館の活動を紹介することができました。『おうちでゴッホ展』の様子はその後、動画にもまとめています。

編集部:地域つながり会議では、どのような説明を?

藤岡:開催した『おうちでゴッホ展』の映像をお見せしたところ、アートを介したコミュニケーションや美術館という資源を活用することがどういうことなのか、具体的にイメージを持っていただけました。と、同時に私たち美術館としても地域と連携する上で、地域医療のことを知る必要を感じました。そこで認知症カフェの視察を行いました。

編集部:先ほど、野本さんからご説明がありましたね。改めて、認知症カフェの説明をしていただけますか?

ふじおかさん
藤岡さん

藤岡:認知症カフェとは、認知症のある方とご家族が、地域の方や専門家と相互に情報を共有し、お互いを理解し合う場です。厚生労働省によれば全国1563市町村で8182の認知症カフェが運営されています(2022年度実績調査)。オレンジカフェという呼び方もあります。取り組みに共感し、美術館とコラボレーションができないかと考えました。

編集部:具体的にどのようなコラボですか?

藤岡:認知症の方々に美術館に来ていただくプランでした。地域つながり会議で提案したところ、「普段とは違う時間や経験ができるね」と、興味を持っていただきました。そこから東京都美術館と台東区の永寿総合病院 認知症疾患医療センターと共に『オレンジカフェ とびラーと楽しむ美術館めぐり ⸺デンマーク家具の世界⸺』を開催するに至りました。この経験から、認知症の方に対して鑑賞会を行っていくことの意義を強く感じましたね。

コロナ時代に直面した人と人のつながり

ちがさきさん
千ヶ﨑さん

稲庭:しかし、当時はまだコロナ禍で福祉の現場からみると、新しいことを始めるハードルが色々とあったのではないかと思いますが、どうでしたか?

千ヶ﨑:たしかに、コロナの影響は大きかったですね。社会福祉協議会も「集まるな、しゃべるな、出るな」という状況。しかし、部屋や施設に閉じこもってしまいますと、特に高齢者の方は認知機能や歩行能力が落ちてしまいます。このまま地域活動が止まることに大きな危機感がありました。「人と人が集まってはいけないなかで、どうやったら人と人が接することができるんだろう?」という課題意識を持つ中で、藤岡さんたちから見せていただいた『おうちでゴッホ展』の衝撃はいまだに覚えていますね。「こういうかたちでも、人と人がコロナの中でもつながりが持てる、交流ができるんだ。さすがアートの方たちだ!」って(笑)。そして、対面でなくても認知症がある方の感情、言葉、思い出などを引っ張り出すことができるオンラインの可能性にも驚きました。

藤岡:『おうちでゴッホ展』は、参加者はアート・コミュニケータ「とびラー」たちと共に対話をしていきます。とびラーとは、東京都美術館の「都美(とび)」と、「新しい扉(とびら)を開く」の意味が含まれた愛称です。18歳以上の様々な経歴の人たちで構成されているボランタリーな活動で、学芸員や大学の教員などの専門家とともに活動する能動的なプレイヤーです。

千ヶ﨑:活動を見て感じたのはとびラーたちの働きの大きさです。とても、重要な役割だと感じました。それまで、東京都美術館がとびラーの募集をしていることを知っていましたが、具体的に何をしているかを知りませんでした。同じ台東区同士で距離は近いにもかかわらず、美術の世界とは、心理的な距離があったんです(笑)。プライベートで美術館や博物館に行く人はいても、仕事や活動で「美術館とつながる発想」は全くありませんでしたね。

藤岡:医療や地域を視察するなか、それぞれ現場にいらっしゃる方が、新しいことをやりたいという思いや関心をお持ちだと感じました。介護的な観点から美術館を安全な場所として運営することは、私たちの知見だけでは限界があります。ですが、お互いの専門性をかけ合わせていくことで、新しいことができるんじゃないかなと感じましたね。

野本:病院だけでなく、ほかの所とつながれるといいなという気持ちは、常に頭の片すみにありました。藤岡さんたちとのつながりができた時、「あ、これだ!」って。

一同:(笑)

のもとさん
野本さん

野本:病院とずっとびがタッグを組むことで、地域で認知症の方を支える新たな取り組みができるのではないか。ただ、認知症の方たちが慣れない環境に行ったとき、落ち着いて鑑賞できるのだろうか、不安で叫ぶんじゃないかとかの心配はありました。ですが、細かいことよりもまずはやってみようという気持ちが強かったですね。

稲庭:連携で一番のハードルが、「知り合い、関係性を作ること」という話をよく聞きます。連携をしたいと考えていても、一歩踏み出すことが難しい。前例のないことをやる難しさはありますね。このハードルを越えていくにはどうすればいいでしょう?

かなはまさん
金濱さん

金濱:藤岡さんと一緒に認知症カフェ「喫茶Y・O・U」に何度かおじゃましています。プログラム作成の打ち合わせで顔を合わせるなかで、美術館と一緒に何かを作り上げたいという熱意を感じました。認知症カフェでは、認知症の方やそのご家族と一緒に昔の遊びや体操をしました。私も参加したのですが、共に体を動かすだけで気持ちが通じるといいますか、自然に会話ができ、非常に楽しい時間を過ごすことができました。そのときに、ニーズや専門性を越えた意識の共有を感じ、「一緒に作り上げたい」という強い気持ちが芽生えました。

編集部:つまり、はじめの一歩は「感覚を共有する体験」が重要だと。

金濱:ええ。実際に行ってみないとわからないところはありました。私は医療関係ではなく、美術の出身です。行く前は「自分が認知症カフェに行って何ができるのだろう?」という、ある種の怖さがありました。ですが、行ってみたら、すごく気持ちが通じ合った感覚がありましたね。

野本:私たちの台東病院は地域共生社会を運営方針に掲げています。ですから、他の分野の方たちとつながることに対しての不安はありませんでしたね。私たちは認知症カフェ以外にも、『病院祭』を秋に開催するんですよ。

編集部:『病院祭』とはお祭りですか?

野本:そうなんです。病院を1日オープンにして、チアリーディングを呼んだり、講演やジャズサックスの演奏をしたりする。手術室の見学会も行います。

稲庭:手術室を見ることができるんですか? すごく開かれた病院ですね。

野本:ええ。そういう病院ですので、「美術館との連携」の可能性を報告したら、「どんどんやりなさい!」と言われましたね。

稲庭:ええ、そうなんですか!?

後編へ続きます。

  1. 2011-2021年度まで東京都美術館学芸員アート・コミュニケーション係長を務めた ↩︎