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アートで心も体も元気に イギリスの「クリエイティブ・ヘルス」の現場から 

| [写真]ああともTODAY編集部 [インタビュー・文]飛田恵美子

近年、クリエイティブな体験の有無が健康に影響を与えるという研究が進んできています。文化的な活動を通して健康を推進する「クリエイティブ・ヘルス」の先進国であるイギリスの実践を紹介します。

2024年5月、「文化的処方」に関する研究を進める東京藝術大学と国立アートリサーチセンターのプロジェクトチームは、イギリスのクリエイティブ・ヘルス(健康とウェルビーイングに寄与する芸術活動)の先進的な取り組みを視察しました。 

この記事ではそのなかから、美術館のコレクションを活用して文化・教育の機会格差の解消を目指す移動美術館「MUMO」と、コレクションのデータを小さな箱にコンパクトに収めた「Museum in a Box」、そして、美術館と地域社会や医療セクターと連携する事例としてマンチェスター市立美術館分館の「プラットホール・インビトゥイーン」プロジェクトを紹介します。

1. イギリス各地の公園を巡るモバイルミュージアムMUMO

Musée Mobileが運営する移動式ミュージアム「MUMO」。これまでに3台が制作されている

⸻MUMOとはどのようなものですか?

稲庭 MUMO(Musée Mobile)は移動美術館です。美術館を利用していない人々に対して、特に近現代美術に出合う機会を作ることを目的として、2011年にフランスで始まりました。国立の美術館と連携し、トレーラー内部空間に作品を展示してさまざまな地域を巡っています。2023年からArt Explora財団の助成によりイギリスでも国立美術館にあたるテート(Tate)と連携した取り組みが始まりました。今回はウルヴァーハンプトン(イングランド中部ウェスト・ミッドランズ州)で展示をしていたので訪問しました。

実際にMUMOの中に入ってみて感じたのは、「本当に動く展示室なんだ!」ということです。通常、美術館の展示室は温度や湿度を一定で、さらに振動などが少ない空間作りをしています。例えば古い油彩画はより脆弱で温湿度や振動の影響を受ける可能性があるので管理が難しい。ですから、移動するトレーラーの場合は、ある程度の環境に対応できる彫刻や再制作が可能なものも展示しているのではないかとも思ったのですが、実際には100年前の油彩画を含め、さまざまな美術館の収蔵作品、つまり本物のミュージアムピースがバランスよく展示されていました。通常の美術館と同じく温度・湿度管理や振動に対応した展示空間を実現しているからできることですね。移動式ミュージアムの事例は世界中にありますが、ここまで本格的に美術館の収蔵作品を展示できている事例はないように思います。 

イギリスの美術館テート・リバプール(Tate Liverpool)と連携し、2024年2月から5月まで開催された展覧会「スープ、靴下、蜘蛛!(Soup,Socks & Spiders!)」 

桐山 私はもっと簡素な造りを想像していましたが、実際にはミュージアムに劣らない装備で驚きました。それでいて、停車している場所が公園なのでとてもカジュアルに立ち寄れるのです。実際に、公園に遊びに来た子どもがサッカーボールを抱えながら中に入っていく姿を見ました。その子は「ミュージアムで作品を鑑賞するのは初めて」と言っていたのですが、ファシリテーターが子どもの興味に合わせて上手に鑑賞をサポートしていて、「初めてのミュージアムとして、良い体験になっただろうな」という印象を受けました。 

稲庭 MUMOが停車する場所は“地域の学校から歩いて20分以内”と決められていて、平日は学校の授業の一環として生徒が徒歩でやってくるそうです。ただ、30平米ほどの空間なので、一度に全員が中に入ることはできません。そこで、クラスの半数の10人ぐらいがまず中に入り、対話しながら作品を鑑賞し、あとの半数は近くのコミュニティスペースで今回の展示テーマと関係する版画を制作するワークショップを行い、時間が来たら交代するという形を取っていました。 

トレーラーの外側はテーブルと椅子を設置してワークショップを行ったり、完成した作品を展示したりできるスペースになっている

桐山 日本でも都市と地方で文化活動へのアクセシビリティの不平等な格差があることは課題となっていて、そのギャップを埋めるために地方都市への巡回展などが積極的に行われています。MUMOはその行き先が公園というところがとてもユニークだと思いましたね。地元の人たちが日常的にピクニックをしたり体を動かしたりする場所のなかに仮設ミュージアムがあって、自然と溶け込み受け入れられている。これまで見たことのない形式でした。 

グループでファシリテータと一緒に作品を鑑賞する

稲庭 ミュージアムを利用していない人は、調査によれば行動範囲が狭い方が多いんです。自宅から自転車で10分くらいの範囲が日常的な生活圏で、そこに情報を届けなければ来てもらえない。市町村などの区切りではまだ大きくて、本当に細かな地域コミュニティにアプローチする必要があります。だから、各地の公園を巡るというのはとてもいい手法だと思います。

少人数で言葉を交わしながら作品を鑑賞している  

⸻もし移動美術館を日本で実現するとしたら、どんなことが考えられますか? 

稲庭 日本では美術館の収蔵作品を美術館以外の場所で展示するには、いくつものハードルがあります。それは温湿度の環境など展示空間の質などをどのように担保するかという具体的な課題より手前に、実は美術館運営側が「多様な人に作品へのアクセスをつくる必要性」への認識が薄いことが根底にあるハードルなのではないかと思います。恐らくイギリスにも似たような状況はあるのではないかと想像します。日本においても美術館のコレクションを地域の施設に巡回する事業は戦後から長らく行われてきました。しかしその展示の意義やスタイルを時代に合わせてアップデートしている事例は多くはありません。今後そうした事業が「健康やケア」という新しい視点が入ることで、誰にどのようにコレクションを届けるのか、現代にあった形でブラッシュアップすることができるのではないかと思います。日本に移動する美術館を導入するとしたら、文化活動の機会の格差を勘案した、健康やウェルビーイングの視点を踏まえた、多様な人々に届くコンテンツを考えられたらと思います。 

2.コレクション情報をデータにして外に持ち出せるミュージア厶 イン ア ボックス

ミュージア厶 イン ア ボックス(Museum in a Box)について教えてください。

稲庭 ミュージア厶 イン ア ボックスは、ミュージアムのコレクション情報のデータをさまざまな場所に届けられるツールです。NFCタグ(近距離無線通信技術であるICチップが埋め込まれたタグ)をカードや立体物に埋め込み、ミュージア厶 イン ア ボックスにかざすとラジオのように音が出るのです。小さな彫刻のレプリカを載せるとその作品情報が流れたり、郷土資料を載せると関連する音を聞くことができたり。各地のミュージアムが自分たちの持つコレクションをこの中に入れ、外に持ち出せるようにしています。学校などさまざまな施設に貸し出されているのですが、とくに介護施設から人気があるようです。古いラジオのような遊び心のあるデザインも魅力のひとつですね。

桐山 「モノを置くと音が流れる」というところがシンプルだけどおもしろく、コミュニケーションの起点になるのだと思います。 

稲庭 ブリティッシュ・ライブラリー(大英図書館)が企画したある展覧会では、各地の図書館とアーティストが連携し、地域住民のオーラルヒストリーをミュージア厶 イン ア ボックスに吹き込んで展示したそうです。アーティストと連携してローカライズするというのは、文化的処方(望まない孤独や社会的孤立をアートや文化で解決するアプローチ)に近いアイデアだなと感じました。

⸻もしミュージア厶 イン ア ボックスのようなツールを日本で考えるとしたら、どんなものを考えますか? 

桐山 ミュージア厶 イン ア ボックスは10年ほど前にスタートしたプロジェクトなので、スタンドアローンで使えることが重視されています。いまはネットワークに接続してさまざまなリソースにアクセスできることが当たり前になり、さらにAIスピーカーのように対話する機能も可能になってきているので、2025年からのタイミングで開発するのであればそういった新たな方法を取り入れてもいいのかもしれません。 

たとえば、ミュージア厶 イン ア ボックスに作品の写真を載せると、AIが「これについてどう思った?」と話しかけてくれて、対話が進んでいく。これを何度も繰り返していくと、AIにもアートコミュニケーターのような経験が溜まっていって、「ほかの場所ではこんな反応がありました」「こんな見方をする人もいるようです」と、より深い話ができるようになるかもしれません。そうなったらおもしろいですね。

稲庭 1人で作品を鑑賞するのと、誰かと話しながら鑑賞するのではまったく違う体験になりますよね。以前、桐山先生がアートコミュニケータがファシリテーションする鑑賞の様子を見たときに「いまのAIではまだアートコミュニケータのようなファシリテーションはできない」とおっしゃっていたことが印象に残っています。ファシリテーターの傾聴の技術や対話を重ね会話を編集していくスキルについての研究はまだ少なく、AIによる問いかけとアートコミュニケータによる問いかけは、近いようで大分違う。では何が違うのか、私はそこにとても興味を抱いています。 

ミュージア厶 イン ア ボックスにも同じことが言えます。機械の上に何かを置くと音が出るって、驚くような技術ではなく、シンプルですよね。でも、実際に目の前にあると、やってみたくなり、人が集まってくる。それは一体なぜなのでしょう。人が何をおもしろいと感じるのか、どんなタッチポイントをつくると人は自分の体験として受け止められるのかを探り、その思索をもとに新しい展開を考えていけたらと思っています。

3.社会的処方を専門とした市立美術館分館「プラットホール・インビトゥイーン」プロジェクト

⸻マンチェスターの「プラットホール・インビトゥイーン(Platt Hall Inbetween)」について教えてください。 

稲庭 まず前提を説明すると、マンチェスターはクリエイティブ・ヘルス(健康とウェルビーイングに寄与する芸術活動)に力を入れて取り組んでいる自治体です。きっかけは、WHOが2010年にエイジフレンドリーシティ(高齢者にやさしいまちづくり)に取り組む自治体の国際的ネットワークを立ち上げたこと。マンチェスターはいち早く自治体として手を挙げ、「文化や芸術活動へのアクセシビリティを高めることは、私たちの生活を良くし、健康格差の是正にもなるはずだ」という信念のもと、この分野では国際的にも先進的な施策を行ってきました。自治体、大学、美術館、公的セクターなどが連携しプラットフォームをつくっていて、産官学連携の研究開発プラットフォームという意味では、私たちの「ART共創拠点」と少し似ているところもあると思っています。 

さまざまな事例をご紹介いただいたのですが、そのなかでも文化的処方という観点から参考になったのがマンチェスター市立美術館分館プラットホールの取り組みです。

プラットフィールズ公園内にあるプラットホール。1926年にマンチェスター市立美術館の分館となった。1947年にファッションや衣装を展示する世界初の美術館として開館したが、2017年に閉館した 

桐山 プラットホールはもともと100年近い歴史を持つ衣装博物館だったのですが、さまざまな事情が重なって閉館することになり、今は文化的処方を主とした活動に生まれ変わったのです。閉館したミュージアムを地域コミュニティの場にするという大胆な転換に驚きました。 

稲庭 マンチェスターではGPGeneral Practitioner:地域住民の健康問題に幅広く対応する医師、日本語では「家庭医」にあたる)が患者に対し、薬の処方箋ではなく、社会的処方の処方箋を出すことができ、その処方箋で患者はヘルス・ウェルビーイング・コーチと相談して、地域の人や場所に参加していく仕組みがあるのですが、プラットホールはその行き先のひとつです。 

たとえば、糖尿病予備軍の患者に、公園を散歩してプラットホールのコレクションを鑑賞し対話するプログラムに参加してもらいます。医師から医療・健康にまつわる情報を伝える時間もあるのですが、一方で地域社会とのつながりが生まれるようなソーシャルな機会も必ず設定しています。望まない孤独・孤立は糖尿病などの慢性疾患を加速させることが統計上でも明らかになっていますから。 

プラットホールと地域とのつながりを説明するマンチェスター市立美術館の シニアラーニングマネージャーのRuth Edsonさん(左)と、このプラットホールを率いるLiz Mitchellさん(右) 

稲庭 プラットホールでは地域ボランティアがガーデニングを行っていて、そこに患者が参加することもあるようです。地域に居場所がない親子が遊びにこられる空間を作っていたり、移民の家族に対応したアプローチをしていたりと、多岐にわたる活動をしています。ここに看護師など福祉・医療セクションの専門家が参加していることがポイントですね。 

プラットホールの敷地に続く地域のマーケットガーデン「プラットホール・フィールド」

⸻日本でも同様の取り組みを行うことは可能だと思いますか?

稲庭 日本とは医療制度が異なっているので同じようにはできませんし、日本で同じ仕組みが目指されているわけではありません。イギリスでは現在の高齢社会の中で、社会保障費が右肩上がりに増えていく中で、限られた社会資源をどう分配するのか、より良い方向を見出すために試されている、その一つが社会的処方だと思いました。イギリスではプライマリ・ケア(当人の意思を起点としながら、その人の体や心が抱える問題を総合的に診る医療)とチーム医療が基本となっています。さまざまな分野の専門性や知見を集めてチームで取り組まなければ、現在直面している課題を乗り越えられない」という認識をみんなが共通して持っているのではないでしょうか。 

日本が参考にすべき点は、当人の主体的意思を尊重するかたちで、さまざまなセクターがこの健康とウェルビーイングの領域で連携した取り組みを広げていることだと思います。日本においても、今年施行された認知症基本法や孤独・孤立対策推進法では関係部局だけでなく、社会のあらゆる分野において対策の推進を図ることが重要と明記されました。これらは先行しているイギリスの事例も参照していると思われます。ミュージアムがそこにどんな形で関わっていけるか、これから本格的に考える時代になっていくのではないでしょうか。 

他国の事例を参照しながら、日本式のクリエイティブ・ヘルスを推進していく

⸻最後に、今回の視察を通して感じたこと、考えたことを教えてください。

桐山 マンチェスターで興味深かったのは、行政がすべてをコーディネートしているのではなく、大学および大学ミュージアムが推進役となり医療や美術などさまざまな分野の知見を持つ専門家が「クリエイティブ・マンチェスター」という言葉のもとでつながり、いろいろな形で参加していたことです。ここに、仕組みとしての広がりとさらなる発展の可能性を感じました。 

今回視察したガーデニングを使ったセラピーなどの各事例は、私たちのART共創拠点でも文化的処方のひとつとして取り組むことができるでしょう。一方で、仕組みづくりについては、保険医療制度などに関わってくるので時間がかかると感じました。日本では、西智弘先生が進めている地域の取り組み1に文化の要素を加えていくというやり方がいいのかもしれません。私としてはそこにテクノロジーを絡めたいですが、それが主役になるような大掛かりなものでなくてもいいと思っています。テクノロジーによって取り組みにおもしろさや話題性が加わったり、活動を支える仕組みをテクノロジーで整えたりできればいいですね。 

稲庭 イギリスでは美術館がウェルビーイングにつながる活動をすることが、かなり浸透してきており、ミュージアムのデフォルトの機能として広がって、すでに活動の積み重ねや幅があると感じました。芸術や文化活動がウェルビーイングやケアにつながることはアートや文化の根本を遡ればもともとあった要素で当然のことともいえるのですが。日本の美術館ではまだそうした活動は少ないのが現状です。 

しかし、新型コロナによって望まない孤独・孤立の問題が浮き彫りになり、日本でもアートや文化がそうした状況に対して何ができるかという議論が行われるようになってきました。アジアにはもともと、“医食同源”のように健康をホリスティックに全体で捉える思想があります。そうしたアジアならではの良さを踏まえながら、アートや文化活動がウェルビーイングにどう対応できるのかを考え、ゆくゆくはその事例を国内外にも紹介できるようになれたらいいなと思いました。共創拠点が掲げる「文化的処方」というキーワードで、日本ならではのクリエイティブ・ヘルスのあり方を模索していきたいですね。 

  1. https://aatomo.jp/interview-nishi/ ↩︎

クリエイティブ・ヘルス関連記事:
https://aatomo.jp/artistic-activities-health-wellbeing/

プラットホール関連記事:
https://aatomo.jp/en/platt-hall-inbetween/