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やまなみ工房を訪ねて【前編】
あなたはあなたのままでいい

山下完和(やまなみ工房施設長)×稲庭彩和子(国立アートリサーチセンター)

| [写真]谷口 巧[構成]井上英樹

滋賀県甲賀市にある「やまなみ工房」は、1986年に開設された障害者福祉施設です。94名の利用者が、絵画、立体、刺繍など多様な表現活動を行い、その作品は国内外で高い評価を得ています。しかし施設長の山下完和さんは「アートを目指しているわけではない」と語ります。文化的処方の視点から、人が生き生きと表現することの意味を探る国立アートリサーチセンター主任研究員の稲庭彩和子が、やまなみ工房を訪ねました。

美術館とは異なる価値の在り方

稲庭 「生き生き」と「表現」がつながっている、それが、工房のいろいろなところから伝わってくる。私たちの日常には、そういう場所はあまりないのだということを逆に認識させられました。例えば、美術館の展示は、この作品たちが息づいている感じとは、だいぶ違います。特に作品が一堂に集まっているこのギャラリーでは、作品がとても居心地よく息をしている感じがします。

山下  ありがとうございます。僕らはまず、ここに通われている人たちの「何が不快だろう?」「何が嫌だろう?」ということを考えています。どうすれば快適に過ごせるかという工夫をしてきました。やまなみ工房は、その「成果物」があるだけなんです。作品を見て「美術はすごいだろう」「彼らはアートに長けているんだ」という特別視を求めているのではなく、たまたまこういうものが偶然生まれた。作品を介して彼らのことを知ってほしいという思いが強くあります。

僕たちは作品に意図を乗せていません。言うなれば、作品は彼ら彼女らの名札のようなもので、「これは誰々さんで、こんな人なんですよ」と紹介したいがためにここに置いているんです。このギャラリーはフィルターをとおさず、ただここで生まれたものを紹介している入り口のようなものですね。

稲庭  山下さんのおっしゃる価値の在り方が空間の中に満ちていますね。本来のクリエイティブのかたちがやまなみ工房にはあり、その出会わせ方が隅々まで徹底されているように感じました。

山下  僕からすると美術館はなにか特別な場所で、美術が好きな人の行く場所であり、敷居が高く感じます。すばらしいもの、高尚なもの、高価なもの、有名なものが美術というイメージとして世間一般にはあるのではないでしょうか。でもここは、それぞれの好きなことを自分自身のありのままにする中で生まれたものを「これ見てよ」というところです。作り手も作品という意図はないでしょうし、僕らもこれが美術というよりは、彼らと社会をつなぐ入り口、扉のようなきっかけを作っているだけなんです。

「彼らは障害者なのにすごい」とか「障害があってもすばらしいアーティストだ」ということではなく、特別視される環境ではなくて、対等に彼らに対するリスペクトをお互いに共有できたらいい、それだけなんです。

表現が生まれる環境と信頼関係

稲庭  文化的処方では、文化やアートは「生き生きと心が動いてしまう」きっかけをつくると考えています。作品はそもそも創造性が働いている時に生み出されるので、その作品を見る人にも、創造性を感染させるというか、反応させてしまう作用があるんだと思います。 


やまなみ工房を見学すると、スタッフの方々の作り手への関心の寄せ方が非常に細やかだなあと思って感心していました。みなさんの会話、合いの手の入れ方が、作り手が「どう表現してみようかな」「やってみようかな」という造形が生まれる瞬間にうまくヒットしていく。生き生きした感じが関係性の中にありますね。

山下  そうですね。関係性には生き生きだけではなく、イライラもあります(笑)。ここには、その人のその日の気持ちがストレートに出せる場、関係性があります。こういった表現が生まれる背景には信頼関係がなければならないと思います。やまなみ工房のスタッフは直接的な技術指導や「今日はこういうものを描きましょう」「デッサンがこうで」ということは一切言わない。「これをしたらこの人は不快な気持ちになるだろうな、だからあらかじめ快適に過ごせるようにこうしよう」と、障害や技術とは関係なく、相手を思いやる気持ちや配慮ができる人たちです。そういうスタッフがいることも含めて、環境だと思います。

そういう意味でスタッフに美術教育を受けた者はいませんから、技術的な指導はできなくても、その人が「よーし、何かやってみるか」という気持ちになるような環境を作ることが、一人一人に対してうまいのかなと思いますね。

「あなたはあなたのままでいいんだよ」「あなたの自由にしていいんだよ」「それがいいんだよ」と、できたものに対して良し悪しもなく、誰かと競争することも、評価や賞賛を求めることもない。だからみんな作り終えたものに一切執着がないし、落ち込む根拠がないんです。「ああ、今日もやった」で終われる。

僕らは、例えば10点満点のうち自分の力で6か7ぐらいまでいって、残りの3、4を人からほめられたり支えられたりして満点に届く。でも彼らは自分自身の力だけで10点までいけるんですよね。誰かに埋め合わせてもらわなくても、今日の自分の満足に到達できる。そこがすごいなと思います。

「本人はどう思っているか」という問い

稲庭  今の世の中では人の創造性が引き出されるような環境や空気を、多くの人が求めていると思います。それは例えば、子供の遊びから、教育やビジネスでのシーンにおいても。例えば小学校の授業の中で子供たちの創造性を引き出したいと思っているけれど、それは簡単ではなく、なかなかこういう場は生まれにくい。それが実現できるのは何によるものなのでしょうか。 

山下 向かっている先が少し違うのかなと最近考えています。作り手である彼らは、ほめられたいとか、売れたいとか、評価されたいとか、誰かに認められたいとか、誰かに向かっているわけではなく、常に自分に向かっている。クライアントに寄せるとか、注文に寄せるとか、担任の先生の好みに寄せるとか、そういうことが苦手だと思います。そういうことが苦手な分、ぶれない強みがある。

「私はこれをすることで幸せなんだ」というのをやり続ける一途な生き方です。好きなことを続けられる才能がある。周りに左右されず、ぶれずに自分の好きを追求できる強さはすごいと思います。

稲庭  その追求できる強さを育てるのが美術教育が目指している部分でもあると思いますね。だけど、その実現がなかなか難しい。ここではそれを「その人への関心の寄せ方」によって実現されているのですね。

山下 ええ。彼らといると、それは指導の中で生まれるとか成長の過程で養うものではなく、本来持っているものが発露するかどうかだと思います。もともとこういう力を持っているものが出せる環境にあるかどうかという気がしますね。

稲庭 その考えをスタッフ同士が常に共有していないと、その環境は生まれないと思います。なかなか難しいことではないですか?

山下 これは至ってシンプルな話なんです。例えばやまなみ工房を訪れたとき「この人は作品になぜこんなにたくさんのボタンをつけるんだろう」「こんなことをしても無駄だ」と感じる人もいるでしょう。また、自由にやってもらっていますから「これは問題行動だ」「こんなものは作品でも労働でもない」と考える人がいるかもしれない。ある意味で一般的な尺度ではそう感じる人も多いでしょう。

でも私たちのスタッフはそうは考えない。「なぜこんなことをするんだろう」ではなく「これをすることで、もし本人が幸せなら、それができる環境を作らないと」と、常に「本人がどう思うだろう」に立ち返れる。そこがみんなの目指すところになります。

やまなみ工房には、『サッポロ一番しょうゆ味』を、ただ親指で擦り続ける酒井美穂子さんという方がいます。彼女はこの行為を20年以上も続けています。そのラーメンを取り上げてラーメンの絵が描けるようにしようとか、文字の習得をしようという教育的・しつけ的に向き合うことはしません。それは、「あなたにとって意味のあることなら、そのあなたの意味のあることを大事にしよう」という思いがみんなの中に生まれ始めて、こういうかたちになったんだと思います。

やまなみ工房の始まり

稲庭 いわゆる健常といわれる人たちにとっても、自分のペースで表現できて誰かとそれをシェアできる環境はすごく求められています。やまなみ工房はそれが実現できている稀有な場所だと思いますが、こちらの施設はどのように始まったのでしょうか。

山下 もともと下請け作業一辺倒で、1本1円にも満たない内職作業を、みんなで同じことをして「今日も10個、20個頑張ろう」「規格にはまって不良品は出さずに」とやっていました。

ある日、拾った紙に鉛筆で殴り描きをしている人がいたんです。僕にとってそれはアートでもなんでもなかった。だけど、書いているときのその人の表情が、見たことのないような笑顔だったんです。今まで彼のことをすべてわかっているつもりだったのに。正直、何を描いているかはわかりませんでした。しかし、描いたものや行為ではなく、その顔を見たときに「僕らが提供していることは彼には楽しくないんだな」と思ったんです。その落書きは誰かの指示ではなく初めて自発的にした行為ですし、彼が自分からやって、にこやかになれることがあるなら、それをしようと始まったんです。いま、やまなみ工房は94人の方が利用しています 。だから今も「どうすればにこやかになるだろう」ということを94通りやっているだけです。

やまなみ工房は、目の前にいる彼らが「こうしたいだろう」という中で生まれる空間なので、僕やスタッフの理想にあてはめているのではなく、彼らの思うようにしていたらこうなっちゃったということなんです。彼ら自身が一般就労したいとか賃金が高くほしいということではなく、求めているのは安らぎだと思います。ですので、やまなみ工房に来たから絵を描かなきゃいけないとか、何かできなきゃいけないわけではありません。