
2025年8月14日から19日まで、大阪・関西万博の会場(夢洲)WASSEで開催された文部科学省主催「わたしとみらい、つながるサイエンス展」。会場内では東京藝術大学と国立美術館 国立アートリサーチセンターによる展示「Hello Future! 100年ミュージアム」が公開されました。
展示のテーマは「文化的処方を体験しよう!」です。アートや文化活動でつながりをケアする「文化的処方」について幅広い人々と語り、体験的に知る機会となることを目指しました。アートや文化が人々の健康やウェルビーイングに良い状態をもたらすという視点を、美術の専門家だけでなく広く一般に伝える試みです。企画を担当した国立アートリサーチセンターの稲庭彩和子さんに、展示の狙いや来場者の反応、そして作品を介した人々のつながりについて聞きました。

10代にも届くアートを ケアへと広がるアートの可能性
編集部 今回の万博での展示は、文化的処方を幅広い方に向けて発表できる貴重な機会だったとのことですが、どのような点を意識して展示を計画されたのでしょうか。
稲庭 万博での展示は、普段は美術館には足を運ばない方も含めて、より幅広い方々に文化的処方を紹介する機会でした。文化的処方というのは、東京藝術大学、国立アートリサーチセンターなど約40組織が共創する国の研究プロジェクトで、アートや創造的活動を心身の健康の重要な要素ととらえ、文化を推進する活動であり、仕組みです。
今回は、文科省主催の事業で、特に若い世代に文化的処方を知ってもらいたいという趣旨から「10代も楽しい展示」をコンセプトに企画の構成をしました。アート好きや専門的な知識のある人たちだけではなく、もっと広く、日常の延長線上でアートに出会えるような入口をつくること。それが今回いちばん大切にした点ですね。

私自身は、長年美術館でファミリーや子どもたちと一緒にアートを楽しむ場づくりをしてきたということもあり、これまでの経験をふまえて工夫をした展示でもありました。来場者の反応として「そのように感じるのか!」と、こちらが認識を新たにしたのは、「藝大や美術館がこういう活動もしているんですね」という声を何度も聞いたことです。つまり、東京藝術大学という「特別の才能を持つ芸術家」がいる大学と「美術作品」を扱う美術館が、地域と暮らしの中にアートの概念を広げ健康につなげる「文化的処方」という新しい考え方を開拓していることへの驚きの声でした。
おそらく芸術大学や美術館が扱う芸術と、人々の生活に近い文化的な活動がつながるイメージは薄く、アートや文化活動が人々の健康やウェルビーイングに関係するという考えを、大学や美術館が研究していることが新鮮に映ったのではないでしょうか。多くのスタッフが来場者からそうした声をかけられていたようです。

ある大学生の方が「アートと健康がつながっているなんて!」と興奮気味に話しかけてくれました。すぐに理解はできないけれど、なにかが心に引っかかってくれた様子でした。彼とは一緒に展示を見て回り「初めてアートと健康がつながっているという捉え方ができました」と話してくれました。とても嬉しい反応です。万博という開かれた場だからこそ、普段は美術館に行かない人とも、作品を一緒に鑑賞して対話が生まれたのだと思います。
巻き貝のような空間が生む、出会いと体験


編集部 展示空間がとても印象的でした。まず外には文化的処方などの情報がパネル展示されていて、入口から入ると作品や映像が点在している。中の作品を一周してみると、外に出る。巻き貝のような構造で自然と動線が生まれる会場でしたね。

稲庭 はい、私たちもあの会場の形を「巻き貝」と呼んでいました(笑)。美術館の展示室ではない場所で、作品と人が丁度よく出会える空間をつくるのはとても難しく、何度も展示案を練り直し、試行錯誤の連続でした。会場であるWASSEは私たちの展示だけではありません。それぞれのブースが違う内容を発信しているので、美術館に比べ情報過多で必然的にノイズが多くなります。また会場の予約は必要なく自由に出入りでき、会場全体が活気に溢れています。その中で短時間でも立ち止まり、作品の世界に心を寄せてみる空間をどうやって生み出すか、それが課題でした。70平方メートルほどしかない空間で、体験の流れをどうデザインするか、頭を悩ませました。

今回の展示空間は建築家の藤原徹平さんチーム、展示什器はgraf(グラフ)の皆さんに制作をお願いしました。空間は外から見るとオープンなのに、内部に進むほど静けさが増していくような空間です。透過性のある半オープンの壁を採用したことで、開かれているけれど、一歩中に入ると心が落ち着いていくような場が誕生しましたと思います。
空間の内側に入っていくと3つの作品があって「あれ?これなんだろう?」と立ち止まり、作品と出会う。回遊性だけでなく、作品の存在に引き込まれるような展示になっています。「作品体験をどう設計するか」に重きに置いた展示の考え方で、実際に会場を歩いてもらうと、作品を楽しみながら、自然と「自分にとって文化的処方ってなんだろう?」と考える導線になっていたことは、とてもよかったと好評をいただきました。

3つの作品が示すアートの多様性
編集部 会場には岡本太郎さん、日比野克彦さん、栗田宏一さんの作品が展示されていました。一見、関連性がないようなアーティストたちですが、どこかでつながり合っているとも思える三者でしたね。
稲庭 そうですね、私たちが「芸術作品」と言われた時に一番に最初に浮かぶイメージは、西洋の絵画や彫刻だと思いますが、そうした既成の芸術の枠組みを軽やかに超えている作品と言えるかもしれません。「これはアート?」と、つい立ち止まって、見ていたくなり、じっと見てしまう。

3つの作品は、まずそれぞれの鑑賞者のなかに、親しみのある記憶やイメージを想起させます。岡本太郎作《太陽の塔》は、1970年の大阪万博で発表された際、日本がどんどん近代化して、ある種の人間らしさが失われていく中で「本当にそれでいいのか?」と問いかける気持ちで作った、と岡本太郎さんがあるインタビューで語っています。

日比野克彦作の《バースデーケーキ》は、身近なダンボールを用いながら、柔らかくワクワクするイメージを呼び起こしてくれます。バースデーケーキは人生の記念碑のようなもので、その人の生きていることを、まるごと祝福するようなアイコニックな存在です。心の奥にずっとあるあこがれのような巨大なケーキが、ダンボールを素材として軽やかに存在している。鑑賞者は、この作品をただ見るだけでなく、何かを食べるという経験や記憶も総動員してこのケーキを見てしまう。そうした見る人の中で起こる感覚が予想外で、ダイレクトに響くのではないかと思います。

栗田宏一さんは日本や世界を歩き、土を集め、並べるという作品を制作しています。「こんなピンクや青や白い土があるの?」と、多くの人がその土の色の多様さと美しさに、足を止めて驚いていました。「これが土?」と、一瞬思考が止まってロックオンされ、集中して作品をよく見るという時間が生まれます。この時間がすごく大事だと思いますね。作品に見入ってしまい、シーンと言葉をなくしているちょっとした没入時間。この日常から離れて時間感覚がゆるむような、作品の世界を旅してしまう時間というのが、おそらく文化的処方の効果のひとつで、身体的な緊張がほどけ、副交感神経が優位になるとも言われています。

文化的処方の本質は「視野のシェア」

編集部 今回の展示には、鑑賞者が「ああとも」というバッジをつけた「文化リンクワーカー)と話をしたり、感想をカードに書く・描くといったアウトプットがありました。たくさんの方々が積極的に参加していたのが新鮮でした。また、カードに書いた感想が、スマートフォンで読み取られ、モニターに映しだされて、感想自体も作品の一部になる仕組みもありましたね。
稲庭 展示で作品を見て「おもしろかった」と終わるのではなく、体験を他の人と共有する仕組みを取り入れました。それがカードを読み取り、モニターに映し出す仕組みです。この仕組みは東京藝大の桐山孝司先生の研究室と共に作り上げました。自分の感情が、リアルタイムで展示の一部になるんです。

私は、人が作品を鑑賞する際に、その人の気づきや感じたことをシェアするという行為について長年考え、皆の鑑賞する様子を目にしてきました。誰かと一緒に作品を鑑賞して気づきをシェアする体験は、一人で作品を鑑賞するのとは違う充実感を得ることがあるのです。その理由のひとつは「同じ作品に眼差しを注いでいる」という行為にあるのではないかと。それはちょうど「食卓を共にして、一緒にご飯を食べる」というのとちょっと近いのですが、誰かと同じ空間にいて、一緒に体験を作っている関係になるんです。その「誰かと一緒に眼差している瞬間」が人間にとって何か重要なケアになる行為なのではないかと考えています。同じものを見て「あぁ」と何かを感じる脳の動きは、身体的にも影響があるということですね。この展示の中でも、誰かと誰かが共に作っている「時空間」があちこちで生まれていました。つまりこの展示は、誰かとの創造的な時間を「シェア」する行為を、展示として可視化した試みでもあります。

編集部 視座が同じだと、同じアート作品を見ながら対話が生まれますね。
稲庭 そうですね。人が集まって同じ作品を見て、感じ、考えたことを交わす。人が何かに一緒に注目をすると、そこでは脳波が同期するという科学的な研究もあります。この現象はオンライン会議では起きないけれど、リアルな場では人と人の脳波の変化パターンが似るという研究を読んだとき、オンラインでの作品鑑賞と実際の作品の前で鑑賞するときの感触の違いの経験から考えても、なるほどと思いました。作品を介して、アーティストの視野、鑑賞者の視野、そしてその作品を大切に感じてきた数えきれない人の視野が時間を超えて重なり合う。「視野のシェア」が行われていて、そうした視野のシェアは実は社会的動物でもある人のつながりを支えているのではないかと思います。

さらに、作品を「時間を超えて届く贈り物」と捉えることもできます。たとえば、日比野さんが《バースデーケーキ》を作った時、その時点では誰に届くかは、わからないし、決められていない。しかし、アーティストが「誰かに届く」と思い作った作品は、誰かが鑑賞し受け取り、時間を経て、また別の誰かが鑑賞し、いわば鑑賞を通して手渡されていく。その「パスが続いていく状態」が文化的処方のコア(核心)だと思うんです。先ほどお伝えした、コメントカードに記された絵や言葉もまた、未来の誰かへの小さな贈り物になるかもしれません。

出口の近くにはちょうど神社の絵馬を吊るす棚のように「文化的処方棚」というスペースを設けました。そこには来場者がそれぞれにとっての「文化的処方」を書き留められる棚があり、自由に棚に設置することができます。会期中、たくさんのメッセージが並びました。皆さんの感想を見ていると、アートや文化が人の記憶や感情に触れ、思い出を呼び戻す力を持っていることを改めて感じました。

万博のプレイベントでの開催の様子はこちら https://aatomo.jp/hellofuture100ws/
WASSEでの6日間の展示では、入場者数は70,455人。私たちの展示には1日に1000人から1500人ぐらいの方々が作品を鑑賞したようです。そして、来場者のアンケートによればほとんどの方が自分の住むまちに「文化的処方の仕組みがあればいい」と考えてくれたことを大きな驚きを持って受け取りました。アートが誰かの心に残り、また別の誰かに伝わっていく。その連鎖そのものが、文化的処方という考え方の実践だと思っています。

文化的処方のはじめの一歩
https://aatomo.jp/guidebook/
10代のあなたのための文化的処方ガイドブック
https://aatomo.jp/culturalprescribing_teens/
わたしとみらい、つながるサイエンス展〜あなたは未来をつくれる⼈〜
文化的処方を体験しよう!Hello Future! 100年ミュージアム
| 日時 | 2025 年 8 ⽉ 14 日~8 ⽉ 19 日 |
| 会場 | 大阪・関⻄万博会場(夢洲) EXPOメッセ「WASSE」 |
| 主催 | 文部科学省 |
| 主管 | 国⽴⼤学法⼈ 東京藝術⼤学 独⽴⾏政法⼈ 国⽴美術館 国⽴アートリサーチセンター |
| 空間設計 | フジワラテッペイアーキテクツラボ+GANEMAR |
| グラフィックデザイン | graf |
| 太陽の塔ブロンズ像・70年万博映像協力 | 乃村工藝社 |




