
ユマニチュード(Humanitude):フランスの体育学専門家であるイヴ・ジネスト氏とロゼット・マレスコッティ氏が作り出した、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションにもとづいたケアの技法。「人とは何か」を問う哲学と、それにもとづく400を超える実践技術から成り立っている。ユマニチュードとはフランス語で「人間らしくある」という意味を持つ造語。
目を合わせて優しく声をかけ、返事を待つ

ああとも:本田先生とユマニチュードの出合いについて教えてください。
本田:2008年頃にユマニチュードを紹介する記事を偶然読んで興味を抱き、ずっとそのページをクリップしていたんです。2011年にジネスト先生に連絡して活動の様子を見学させていただきました。
ユマニチュードの研修にも参加して実践したところ、「着替えをする」「歯磨きをする」などのケアがとてもうまくいき、自分でも驚きました。言葉が通じなくても、ケアの経験がなくても、ユマニチュードを使うと患者さんと意思疎通ができるんです。「これはすごくいいな」と思いました。
日本に戻って周囲の看護師さんにその話をしたら、多くの方から「自分もユマニチュードを学んでみたい」と言われました。みなさん、それだけ患者さんとのコミュニケーションに困っていたのでしょう。ジネスト先生とマレスコッティ先生に相談すると来日してくださることになり、それがきっかけで日本にユマニチュードを広めていく活動が始まりました。

ああとも:通常のケアとユマニチュードとは、何が違うのでしょうか。
本田:医療関係者ではないとピンとこないかもしれませんが、話しかけても返事のない患者さんは少なくありません。そうすると、こちらもだんだんと返事をもらわないことが普通になってきます。たとえば病室に入る際も、ノックはするけれど、患者さんの反応を待たずに扉を開けてしまうようになります。普通だったら、相手の了承を得てから入りますよね。でも、ある環境や文化、関係性のなかではそれが忘れられがちなのです。
患者さんに対して礼儀正しくありたいと心がけているつもりでも、行動は「あなたの意思を聞くつもりはありません」というメッセージを表出してしまっている。そんな関係になると患者さんはなかなか信頼してくれません。とくに、認知機能が落ちている患者さんはおびえてしまい、ケアの拒否につながることがあります。そういうことが、医療現場ではたくさんあったように思います。
ジネスト:フランスの介護施設を調査したところ、医師や看護師や介護士など1000人のうち半分は患者さんの部屋に入る際にノックをせず、半分はノックをしたけれど返事を待たずに入っていたんですよ。昔は病室に扉がなかったので、ノックをする文化が根付かなかったのでしょうね。

CP:取材にはユマニチュード提唱者のイヴ・ジネスト先生も同席し、コメントをくださいました
本田:ユマニチュードでは、ノックをして相手の返事を待ってから入室し、目を見て挨拶するところから始めます。それによって患者さんは「この人は自分のことを気にかけてくれているんだ」と感じ、ケアを受け入れやすくなるのです。

ジネスト:ある病院では脳出血の後遺症で10年間言葉を発していない患者さんに対し、看護師が必要最低限の声かけをするのみでアイコンタクトをせずに黙々とケアを行なっていました。でも、ユマニチュードを学んだ後はコミュニケーション量が25倍になり、患者さんは見違えるほど表情が豊かになりました。そしてなんと、10年ぶりに言葉を発したのです。反応がない相手であっても、ひとりの人間として丁寧に接することが本当に大切なのです。
ああとも:フランスや日本では、ユマニチュードはどの程度浸透しているのでしょうか。
本田:フランスでは多くの方に知られていますが、すべての病院が取り入れているわけではありません。日本ではトレーニングを受けた人は1万人を超える位だと思います。医学部や看護学部の先生も興味を持ってくれて、教育現場でも取り入れられるようになってきました。
医療者としてある程度経験を積むと、往々にして「最新の治療法やすばらしい設備を持っていても、相手が受け取ってくれないと始まらない」という壁にぶつかります。それをなんとか解決したいと悩んでいる人がたくさんいるから、ユマニチュードの技法が求められているのだと思います。


誰もが誰かの「第3の誕生」を支えることができる
ああとも:「こと!こと?かわさき」で行なったアートコミュニケータのケア実践講座について教えてください。
本田:東京藝術大学が進めているケアとアートのプロジェクトに呼ばれてユマニチュードを紹介したところ、とても興味を持っていただけたんです。高齢者や障害のある方とともにアートを鑑賞する際にもユマニチュードは使えるのではないかとご相談いただき、ユマニチュードを川崎市民のみなさんにお伝えすることになりました。

ああとも:その提案についてどう思いましたか?
本田:ユマニチュードはよく、「認知症患者や高齢者に対するケア」と紹介されます。それは間違ってはいませんが、正確ではないんです。ユマニチュードは人が人に何らかのサービスを提供する場面すべてに応用できる技術です。ともに良い時間を過ごし、届けたいものを受け取ってもらう技術。ですから、アート鑑賞プログラムにおいてもユマニチュードは役に立てると思いました。
また、「アートそのものよりも、アートを通して心が動くことが重要」という話を聞き、ユマニチュードと近いものがあると感じました。ユマニチュードも、「ケアの内容よりも、ケアを通して良い関係を結ぶことが重要」と考えていますから。

ああとも:講座ではどういったことを伝えましたか?
本田:ユマニチュードの基本、「あなたのことを大事に思っている」というメッセージを相手にどう伝えるかについてお伝えしました。そのときに必要なのは、相手を人間として尊重することです。では、人間とはどういう存在なのか。ジネスト先生はいつも、「生まれただけでは人間になれない」とお話されます。
ユマニチュードでは、生物学的な誕生を「第1の誕生」、自分は人間であると認識し社会性を身につけることを「第2の誕生」と呼んでいます。子どもは、周囲の人から人としてのまなざしを受け、声をかけられ、優しく触れられることによって、自分と社会とのつながりを感覚として受け取ります。人間として成長していくには、「あなたのことを大事に思っている」というメッセージが必要なのです。
ただ、病気になったり、歳を取って家族や友人を亡くしたりして、人との温かな接触が絶たれてしまう場合があります。こうした環境に置かれた人は、「人間として扱われている」という感覚を得づらくなり、自分の殻に閉じこもっていきがちです。話しかけられても反応しなくなったり、ケアやサービスを受け取れなくなったりする。そういうときに、誰かがもう一度意識して「見る」「話す」「触れる」をして「あなたのことを大事に思っている」というメッセージを伝えると、その人はもう一度生まれ直して、人間らしさを取り戻すことができるんです。ユマニチュードではこれを「第3の誕生」と捉え、大事にしています。
ジネスト:歳を取っても、病気になっても、私たちはひとりの人間として誰かに愛されたいと願っているのです。私が病院を訪問すると、高齢の患者さんが自らハグやキスを求めてくれることがあるんです。日本には初対面の人とハグやキスを交わす文化はありませんよね? でも、体のどこかにそういう感覚が眠っていて、心を開くと自然と求めることができるのだと思います。日本人の多くは、自分がそのように生まれついていることに気づいていないのではないでしょうか。

ああとも:ケアを仕事にしていない人、たとえばアートコミュニケータも誰かの「第3の誕生」を支えることができるのでしょうか。
本田:もちろんです。「塞ぎ込んでいる親戚やご近所さんに対しユマニチュードの技法を意識して接したら、とてもいい時間を過ごせた」という声を何度も聞いています。講座を受けたアートコミュニケータのみなさんも、ご家族に対して、またはまちのなかで実践してくれました。誰もがユマニチュードの担い手になれるのです。
ユマニチュードを身につけた社会

ああとも:今後の展望をお聞かせください。
本田:病院や施設に限らず、地域で暮らしているけれど一人暮らしで孤独を感じていたり、家族と暮らしているけれどコミュニケーションがうまくいっていなかったりする方がいると思います。あるいは、孤独や問題を抱える人に対して何かしたいけど、どうしたらいいかわからないと思案している方もいらっしゃるかもしれませんね。そういう方々を支える“インフラ”のようにユマニチュードが浸透していくといいなと考えています。
具体例を挙げると、福岡市の福祉局内にユマニチュード推進部があり、病院や消防署、救急隊の職員がユマニチュードを学んでいます。市民やまちで働く人が基本的な振る舞いとしてユマニチュードを身につけると、社会はより安心できるものになっていくでしょう。川崎市でも、アートコミュニケータのみなさんを入り口として、取り組みが広まっていくことを願っています。
