研究開発課題リーダーとして、桐山孝司(東京藝術大学東京藝術大学大学院映像研究科長)とともに「ああとも」を率いる稲庭彩和子(国立アートリサーチセンター主任研究員)。「ああとも」の活動にかける思いとは?
なぜアートが生まれたのか
よりよい世界や社会にアートがどのように関われるか。そんなことを考えるとき、アートの社会的な作用とその力をもっと丁寧に見ていく必要があると思っています。私たち人間は社会的動物です。社会と日々接しながら、考え、表現をし、創造をしながらコミュニティをつくっています。人間以外にも社会的動物はたくさんいますが、人間のみがアートを生みだしています。人間はコミュニティをつくる中で、アートと共に発展してきました。おそらく円滑に社会を営もうとする過程で、アートというコミュニケーション方法が生み出されてきたのだと思います。アートの根源に立ち戻って考えると、今日のアートやミュージアムというものが、福祉などケアの領域や医療と連携していくのは、自然の流れのように思います。
これからのミュージアムの役割
ミュージアムの役割は、美術作品を調査、研究、保存、収集、展示という役割がベーシックにあります。また、「私たちの社会の中で、どのようなものを取り上げ、収蔵していくべきなのか」を考え続ける機関でもあり、国立の美術館であれば国としての「文化的な物差し」を作る役割もあります。そうした従来からの機能に加えて、ミュージアムに求められる役割は2000年以降ぐらいから世界中で大きく変化してきました。保存・収集や展示・教育の役割だけではなく社会との関わり、特に人々が平和に共生していくための文化的機能がより求められてきているのです。
国際的には2015年に国連サミットで採択された「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)」が共通理念として広がり、地球規模の視点で多様な主体がウェルビーイングに向けて活動をしていく中で、ミュージアムも社会変革の重要な文化セクターとして主体的にイニシアチブを取っていくような潮流が起きています。日本もこの流れの外ではなく、博物館法の制定から約70年が経過するなかで、博物館を取り巻く状況も変わってきました。「博物館法の一部を改正する法律」が成立し、令和5(2023)年4月1日から、新たな制度に移行しています。文化芸術推進基本計画には「文化芸術の保存・継承、創造、交流、発信の拠点のみならず、地域の生涯学習活動、国際交流活動、ボランティア活動や観光等の拠点など幅広い役割を有している。また、教育機関・福祉機関・医療機関等の関係団体と連携して様々な社会的課題を解決する場としてその役割を果たすことが求められている」と書かれています。日本のミュージアムも前に進みはじめようとしています。
人が美術や文化に関わる場をどのように作るのか
私は大学で歴史学を、最初の大学院では日本美術史を学んでいました。古文書から読み解ける歴史というのは多くは勝者の歴史ですし、市井の人々の声はほとんど聞こえてきません。しかし、《一遍上人絵伝》(遊行上人伝絵巻)に触れ、描かれた市井の様子にとても心惹かれました。そこには古文書からは見えない女性や子どもの様子、絵師から見た町の様子などがいきいきとした筆致で描かれていました。そして、私の関心は、美術作品そのものよりも美術が作用している「場」だと気がつきました。この《一遍上人絵伝》との出会いから、ミュージアムという場や空間に関心が移りました。現代社会の中でミュージアムがどのような機能を果たすのだろう。社会の中でのミュージアムの役割について活発な議論が積み重ねられているイギリスのミュージアムの現場に接してみたいと、大英博物館でのインターンに志願し、同時に社会学の中のミュージアム・スタディーズ(博物館学)を大学院で学びました。
イギリスで感じたのが一般の人とミュージアムとの距離感です。パブで隣に座った人との世間話の延長でミュージアムは無料であるべきか否かについて議論がはじまり、ターナー賞など現代美術の賞に対する論点が新聞の一面を飾ります(時に激しくこき下ろしさえします)。それは民主的な共生社会の理想を掲げながらも、我々はいまどういう状況にあるのか、という批評的視点が通底していて、メディアも現代社会の中でのミュージアムやアートのあり方に反応している状況がありました。イギリスから日本に戻り、日本の美術館で学芸員として働きながら「美術や文化を介して人々にとって有用な場や機会をどのように作っていくのか」は、その後も常に考えてきた大きなテーマです。
「ああとも」の10年という時間
「ああとも」は、東京藝術大学が中核となり39の機関が連携する「共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点」事業の中のプロジェクトの一つです。これまで国の研究事業でアートを核に大学、ミュージアム、テクノロジー分野の研究機関、医療・福祉分野、民間企業、自治体が共創しているこの規模のプロジェクトはほとんど例がありません。専門分野を超えて横断的な視点を持って共創するには、それぞれに相当な粘り強さが求められます。今まさにプロジェクトの「鍵」は、開かれたかつ構築的な対話を粘り強くしつづける場をつくることにあると感じています。
「ああとも」で行おうとしていることは、国内の文化施設が持っている文化リソースの社会的価値(コレクションのみならず、ミュージアムの建築空間やそこにある知的財産や社会関係資本など)がより人々とシェアされ、それが人々の健康やウェルビーイングにつながり、望まない孤独や孤立がなくなる活動作りです。ここから生まれる発信や活動が、これからの社会の「新しいリソース」となるはずです。
私は「人が表現する」ということは「人が生き生きといられる」持続可能性を高める、生体的な必須要素だと感じています。「表現」といっても作品を作るなどの狭い意味の「表現」だけではありません。日常の中の小さな表明も表現の一形態です。強い表現力をもった美術作品はそうした人の生体的な表現への回路をエンパワメントし、自分をとりまく人々や社会との「つながり」に気づくきっかけをつくります。アートをはじめとした様々な文化的リソースがきっかけとなって、誰もが生き生きといきられ、それがさらに次世代につながるリソースになっていくことを目指したいと思います。
先述の「共創拠点事業」は2023年から10年の研究事業です。ですので「ああとも」の活動期間もひとまずは10年。10年という月日は、ある程度の積み重ねができる最低限の期間だと感じています。「ああとも」のプロジェクトも次の世代にしっかりと手渡す構造を作り、この10年という大切な時を、しっかりと重ねていかなければと思っています。