イギリスのイングランド北部を代表する都市であるマンチェスター。その中心部から約5キロほど離れたプラットフィールズ公園の中に18世紀ジョージアン様式の建物が遺されています。建物の名前はプラットホール。1926年にマンチェスター市立美術館の分館となったプラットホールは、1947年にファッションや衣装を展示する世界初の美術館として開館しますが、コレクションが膨大になりすぎたため2017年に閉館しました。その後、コレクションはマンチェスター市立美術館での保管に向けた作業が進められていますが、しかし分館であるプラットホールの建物はそのままの場所にあり続けます。
この建物を、地域やそこに暮らす人々の為に活用することができないだろうか? マンチェスター市立美術館が取り組む「プラットホール・インビトゥイーン(Platt Hall Inbetween)」というプロジェクトは、このような問いから始まりました。250年という歴史を地域とともに歩んできたこの建物のこれまでを引き継ぎながら、これからの新しい可能性を模索するという過去と未来の「あいだ」にあるとともに、地域の人と人の「あいだ」にあるミュージアムの形を探求するという姿勢は、まさに「インビトゥイーン(Inbetween=あいだ)」というプロジェクト名に如実に現れています。
そこに暮らす人々のためのミュージアム
プラットホールが位置するプラットフィールズ公園は、モスサイド、ファローフィールド、ラスホルムという地域に挟まれており、これらの地域は民族的・社会的・経済的多様性に富むと同時に、イングランドでも最貧困地域として知られています。南アジアやアフリカ系カリブ、東欧、ソマリアなどの出身者やクルド人、そして現地の学生が高密度で住んでいるこの地域のニーズに、ミュージアムはどのように応答することができるのでしょうか。
プラットホール・インビトゥイーンの活動は、地域の人の中に入っていって生活の中に溶け込み、彼らの声に耳を傾けて学ぶという「超ローカルなアプローチ」からスタートしたと、マンチェスター市立美術館のラーニング・マネージャーでコミュニティのプログラムを担当するルス・エドソンは言います。そしてコミュニティの声に耳を澄ますなかで、この地域の住環境や教育環境、仕事や雇用、健康やウェルビーイングといった様々な領域におけるインターセクショナルな障壁が浮かび上がり、プラットホールはこの課題に対する対処の拠点という新たな役割を得ることになります。
社会的処方プログラム
地域の医療機関やボランティアのコミュニティと協働しながら、プラットホール・インビトゥイーンでは様々な困難を抱える地域の人のための社会的処方プログラムを提供しています。
例えば月に一回開かれる「コレクション・チャット」のプログラムでは、プラットホールに収められた沢山のコレクションが、地域に暮らす人同士の対話を促進するために力を発揮します。ミュージアムの閉館の原因であった整理や収蔵が追いつかないほどの膨大なコレクションは、見方を変えれば、多くの興味深い謎を秘めた魅力的なモノでもあるのです。そしてこの地域には様々な文化的背景を持つ多様な住民が暮らしています。コレクションと地域の住民の出会いの機会となるコレクション・チャットは、ミュージアムにとってはコレクションの新たな魅力が発見される機会であるとともに、地域住民にとっては各自のアイデンティティや文化的背景を確認しながら、コミュニティの新たな繋がりを創出する場にもなっているのです。
活用されるのはコレクションだけではありません。ホール周辺の場所を活用し、プラットフィールズ公園のボランティア・グループとも協働しながら、地域の住民が主体的に関わるガーデニング活動も行われています。健康のために体を動かしながら、誰かと一緒に過ごしながら会話の機会を持つガーデニング活動は、心身の健康のための社会的処方の側面を持ちながら、同時に、ある種権威主義的で少し近寄りにくく感じるミュージアムという場所が、地域の人々が庭の植物の面倒を見る中で「ミュージアムは自分たちの場所なのだ」という意識を持ち始めるきっかけにもなっているのです。
プラットホール・インビトゥイーンの活動はこれだけではありません。地域のかかりつけ医との協働を通じてたヘルスケアに重点を置いたプログラムや、恵まれない環境の子どもやその家族を対象としたプログラムなども展開しています。
しかし、いずれのプログラムも、その根幹にあるのは地域とコミュニティ、そしてそこに暮らす人々のためのミュージアムという視点です。プラットホール・インビトゥイーンの活動は、地域社会と共に歩むミュージアムの新しい形と可能性を差し示しているのかもしれません。
下の動画は、このプラットホール・インビトゥイーンの取り組みを紹介するものです。国立アートリサーチセンターが日本語字幕を制作しました。