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「ときめき」を処方する?!

英国の美術館学芸員ジェーン・フィンドレーが語る、日英のクリエイティブヘルス

| [インタビュー写真]斉藤有美 [文]ああともTODAY編集部  

ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー 撮影:ルカ・ピファレッティ

ロンドン南部にあるダリッジ・ピクチャー・ギャラリーは、一般の人々が美術を鑑賞する場として世界で初めて建てられた美術館です。1817年に開館し、レンブラントをはじめとするヨーロッパ絵画の名品を数多く所蔵しています。開館から200年以上を経た現在、美術との出会いを通じて、人々の健康とウェルビーイングを支える活動にも注力し、地域に根ざした先進的な活動を展開しています。同館でこれらの活動を推進してきたジェーン・フィンドレーが、日本に2か月滞在し、各地で健康やウェルビーイングを支える活動の現場を訪れました。コミュニティが主導する文化リンクワーカーの仕組み、病院の中のアート、そして「ときめき」というキーワード。日本各地を訪ねて得た気づきを、国立アートリサーチセンターの稲庭彩和子が聞きました。

さまざまなクリエイティブヘルスの現場で

稲庭:ジェーンさんは今回、約2か月にわたって日本に滞在し、各地のさまざまなクリエイティブヘルスの活動を見てこられました。来日はなんと今回で10回目とのこと。日本についてもよくご存じで、両国の社会的・文化的背景の違いを踏まえながら、日本各地の実践をご覧になってきました。今日は、日英のクリエイティブヘルスを比較する視点から、主にお話を伺いたいと思います。まずは、自己紹介をお願いします。

フィンドレー:私はロンドンのダリッジ・ピクチャー・ギャラリーで9年間、プログラム&エンゲージメント(人々の参加と関わりづくり)部門の責任者を務めてきました。現代作家を紹介する企画展のキュレーションから、健康やウェルビーイングを支える創造的なプログラムの企画まで、多岐にわたります。健康とウェルビーイングに関する私たちの活動は、幅広い一般の人々に向けたウェルビーイング・プログラムから、臨床の現場で特定の人々を対象とする活動まで、広範囲に及びます。アートには、私たちの感じ方や日々の営み方を変え、ウェルビーイングを育み、一人ひとりの人生に大きな違いをもたらす力があると確信しています。

稲庭:今回のクリエイティブヘルスの調査では、日本のどのような場所を訪れたのですか?

フィンドレー:これまでに27か所を訪れました。今回の調査の目的は、クリエイティブヘルスがどのように捉えられ、伝えられているのかを、医療・福祉に携わる人々や一般の方々に聞き、それが日々の暮らしにどのように織り込まれているかを知ることです。博物館浴や文化的処方、病院での取り組みなどの現場を訪ね、アートが実践のなかでどのように語られているか、誰が恩恵を受けているか、医療へのアクセスを妨げる障壁がどのように取り除かれているかを見てきました。帰国後は、日本で得た経験や学びを報告書や記事にまとめ、広く共有する予定です。

「人のために」より「人と一緒に」 日本が教えてくれたこと


稲庭:ジェーンさんは、美術館の幅広い学芸業務を統括する仕事をされていると思いますが、キュレーション(展覧会の企画・構成)、エンゲージメント(人々の参加と関わりづくり)、ラーニング(学びの場づくり)を一体的に進めていることが印象的です。

フィンドレー:これらには共通するところがあって、どれも観客を中心に据えています。観客へのアプローチが少し違うだけです。別々の並行した活動として進めるのではなく、一緒に取り組むことで、よりホリスティックに捉えることができますし、さまざまなチームからアイデアが生まれますね。

稲庭:日本では1つの美術館の学芸員のポスト数自体が少ないため、ラーニングやエンゲージメントといったことに専門性をもって専従している例は一部に限られます。しかし、ラーニングやエンゲージメントを含め、学芸業務をより専門的に分担することが望ましいという認識は広がっているように思います。一方、イギリスでは、この10年ほどの間に、いくつかのミュージアムが、専門性で分けるのではなく、より統合的なアプローチへ向かっているのが興味深いですね。ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーでは、ウェルビーイングがすべての活動を支える基本姿勢として認識されているとのことですが、こうした考え方はイギリスで広がっているのでしょうか。

フィンドレー:増えていると思います。ダリッジでは、ウェルビーイングがプログラム全体を貫く「金の糸(golden thread)」になっています。ただ、地域に根ざした小規模な組織だからこそ、機動力を生かし、明確な意図をもって「この領域にフォーカスしよう」と決めることができた、という面もあります。イギリスの多くの美術館・博物館が、それぞれの置かれた状況に応じたかたちで、活動により大きなソーシャル・バリュー(社会的価値)を織り込んでいると思います。

稲庭:確かに小中規模のミュージアムのほうが地域と連携しやすいですね。日本のさまざまな事例も織り交ぜながら、比較してお話を進めていきたいと思います。

フィンドレー:日本のクリエイティブヘルスの事例では、「人のために何かをする」というよりは、「人と一緒に何かをする」ことが多いと感じました。コミュニティホスピタルである同善病院(東京都台東区)や、みのかも文化の森 美濃加茂市民ミュージアム(岐阜県美濃加茂市)は、いずれも小さなコミュニティに根ざし、一人ひとりが自分らしくいられ、心のつながりを感じられる場でした。

なかでも、みのかも文化の森は、地域コミュニティに焦点を当てたミュージアムでしたね。興味深かったのは、バス停を起点に、地域のアートやクリエイティビティと出会える仕組みがあったことです。自分たちの暮らす場所に文化を見いだすことが、自分たちの地域への誇りにつながっていました。また、地域の健康づくり事業と連携したウォーキングプログラムなどを通じて、パブリックヘルスとコミュニティでの実践が結びついていました。

山口県の下関市立考古博物館では、リラクゼーションとレジリエンスを軸としたウェルビーイングへの貢献を通じて、教育委員会と市の行政の双方が、若者にとっての博物館の意義を認識するようになったと伺いました。こうした事例を見て、博物館そのものの役割が変わり始めているように感じました。また、文化的な拠点としての価値も、より広く認識されるようになってきていました。


稲庭:九州でもさまざまな場所を訪問され、熊本にもいらしたのでしたよね。2025年には、熊本市現代美術館を管理する公益財団法人熊本市美術文化振興財団内に文化的処方推進室が設置され、今は、財団と熊本市、熊本大学、東京藝術大学の四者が連携して「熊本版文化的処方」の研究・開発を進めています。まだ始まったばかりですが、これからどのように展開していくのか楽しみですよね。ところで、ジェーンさんが日本の活動を見て、どこに最も可能性を感じ、どのような違いが特に印象に残りましたか。


フィンドレー:一番の違いは、日本のほうが社会的処方やクリエイティブヘルスに類する活動に幅広く色々な人が関わって行っていることです。イギリスではリンクワーカーは基本的に医療の仕組みの中に位置づけられているのですが、日本では市役所職員がリンクワーカー的な活動をしていたり、トレーニングを受けた地元の人が役割を担っていたりする事例に触れました。このコミュニティ主導の動きはより持続可能で、イギリスでも学べることがあると思いましたね。これは、「患者と専門職」という関係から、さまざまな人が一緒に取り組む、よりフラットな関係へと力学を変えるものです。私たちのミュージアムのボランティアや、来館者、地域の人々と、どのように違ったかたちで協働できるのかを考えるきっかけになりました。

人々が自然や文化に触れ、思い思いに過ごす水前寺成趣園(熊本市) 撮影:ジェーン・フィンドレー

稲庭:以前、ロンドンでリンクワーカー的な働きをしている「ビーフレンダー(befrienders)」という人たちの存在をジェーンさんが教えてくれましたよね。

フィンドレー:私たちが一緒に活動している「ビーフレンダー(befrienders)」は医療やケアサービスとつながりを持ち、文化施設を訪れる人々を支援するボランティアです。その活動には予防的側面もあり、特定の健康上の問題を抱える人だけに参加を限定するのではなく、誰でも文化・アートに触れられるようにしています。私たちの美術館では、現在、ビーフレンダーは特に認知症に焦点をあてて活動していますが、一人暮らしで孤独を感じている人や、人と話す機会がない人にもアートと関わる機会を広げたいと考えています。美術館のより幅広いボランティア・コミュニティが地域との結びつきを強めることができれば、こうした役割を医療の仕組みの外にも広げられるかもしれません。それが、日本で見た事例から得た気づきの一つでした。

天窓から光が差し込む、ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーの展示室。撮影:ルカ・ピファレッティ

稲庭:日本で文化的処方を地域に実装していくうえでも、医療や福祉の経験を持つ人だけでなく、多様な市民が参画することが重要だと考えています。では、そうしたつながりの場をつくる市民には、どのような力が必要なのか。そこで重要になるのが「聞く力」です。たとえば、ジェーンさんも訪問した川崎市や東京都のアートコミュニケータは「聞く力」の講座で学んでいます。人に深い関心を寄せて耳を傾けることは、作品をよく見て、そこに関心を寄せることと、とてもよく似ています。作品鑑賞を通して培われる、対象に注意深く関心を寄せる力は、人の話を聞く力にもつながっているのではないかと考えています。アートを鑑賞することと、人の話に耳を傾けることは、どちらも相手や対象に注意深く関心を寄せる行為であり、ケアにもつながります。こうした力が、アートコミュニケータの特徴になっています。

匿名の贈り物が循環する病院

フィンドレー:ウェルビーイングの文脈でいうと、日本で感じたのは、医師と患者の間にある障壁を取り払い、それぞれの立場を超えて、人と人としてコミュニケーションできるようにしようとする姿勢です。国立病院機構 四国こどもとおとなの医療センター(香川県善通寺市)で、それを強く実感しました。そこには病院専属のアートディレクターがいて、コミュニケーションを通じて、病院にいるすべての人にとってよりよい場所をつくろうとしていました。

医師や職員、患者など、病院にいる人たちの間で、匿名の贈り物が循環する仕組みもあります。患者は入院すると、ケアやサービスを一方的に受ける側になりがちです。しかし、この病院には、匿名で贈り物を贈り合える小さなボックスが院内のあちこちにあり、誰でも参加できるようになっています。アートが、単に壁に美しい絵を飾ることではなく、本当に意味のあるかたちでコミュニケーションとつながりを生み出している例だと感じました。

四国こどもとおとなの医療センターの院内壁面に設置されたボックス。撮影:ジェーン・フィンドレー

稲庭:四国こどもとおとなの医療センターの例は、一方的に与える関係ではなく、本当に人のエネルギーが循環するような場をつくっているのがいいですね。


フィンドレー:ミュージアム職員としてここから学べるのは、「ミュージアムは人のために存在しなければならない」ということです。ミュージアムは作品を展示する組織なので、「作品をぜひお楽しみください」というように、どうしてもモノを重視しがちです。けれども、たとえ短時間の訪問でも、そこで何か意味のあることがあればいい。わずかな時間の体験が、展示をじっくり見ることと同じくらい意味を持つかもしれません。
私たちは、滞在時間の長さをエンゲージメントの深さと捉えがちです。しかし、人がミュージアムから受け取るものは、コンテンツだけではありません。環境やそこで受けるもてなし、そしてその場所でどのように感じるかも含まれます。ミュージアムが、人々の暮らしの中で、もっと気軽で、穏やかで、やさしい存在になれたらと思います。


「健康」を前面に出さず、関心から始める

稲庭:従来の医療における薬の処方と、社会的処方における「処方」とでは、同じ「処方」という言葉が使われていても、その意味は大きく異なりますよね。イギリスの社会的処方は、医療の仕組みの中に位置づけられた「非医療的な介入」で、リンクワーカーなどのつなぎ手が、本人と話し合いながら、社会とのつながりをつくっていくものです。それは、その人の存在そのものの尊厳に関わることだと思いますが、人と人とのつながりを簡単に「処方」できるのか、という問いも生じます。

つまり、人と人とのつながりは、本来きわめて有機的なものです。人との「つながり」まで医師から「患者」へ「処方」するという構図は、その人を「支援を必要とする患者」と一方的に見なしてしまうおそれがあります。私たちが文化の側から取り組む文化的処方では、文化的な活動を通じて、より有機的な人のつながりが生まれる場や環境を耕していくことを、「処方」と捉えています。その人がコミュニティの中でその人らしく存在し、周囲との関係が有機的に育まれていくあり方を、過度にシステム化することなく、どのように実現できるかがとても重要だと考えています。

フィンドレー:そうですね。今回の滞在中の対話では、「尊厳」という言葉が繰り返し出てきました。健康であること、そして健やかであると感じることが何を意味するのかを考えるうえで、とても大切な言葉だと思います。誰かに行き先を指示されるのではなく、地域の中で人々が互いに支え合い、すでにそこにあるものとつながることができれば、より意味のある、持続可能なものになります。最終的には、一人ひとりが自分自身の価値に気づけるようにすることなのだと思います。現在、イギリスでは、アートや文化はリンクワーカーからの紹介が比較的少ない分野の一つで、文化的処方はまだそれほど一般的ではありません。異なるアプローチが必要だと感じている今、日本で出会った事例はとても参考になりましたし、実践に携わる方々と交流し、意見を交わせたことからも多くを学びました。

稲庭:日本でも、アートや文化と聞いただけで、「自分はそういうものはあまり好きではない」と、最初は気が進まない人もいます。また、医療の仕組みの中で、「人とのつながりを必要とする人」として支援を受けること自体が、スティグマ(烙印)につながることもあります。ジェーンさんは、日本では文化やアートと人々とのあいだに、どのように橋を架けているのかを見たいと考えていたと伺いました。日本の事例を見て、どのように感じましたか。

フィンドレー:日本で興味深いと感じたのは、人々の関心を起点に物事が進んでいくことが多かった点です。アートや文化は私たちの身の回りの至るところにあり、人々はそれぞれの仕方で関わっています。一人ひとりの関心から出発することで、最終的にミュージアムにつながるかどうかにかかわらず、さまざまなものとの出会いやつながりを生み出すことができます。

では、ミュージアムには何ができるのかと改めて考えたとき、幅広い人々が楽しみ、意味を見いだせるような関わり方を考えたいと思いました。展覧会を見たり、ラーニング活動に参加したりすること以外にも、文化施設と関わる方法があるのではないでしょうか。たとえば、私たちのギャラリーには庭園があります。そこで、その庭園をどのように活用できるか、また、それによってそこで生まれる日常の交流がどのように変わっていくかを考えています。

ダリッジ・ピクチャー・ギャラリー 撮影:ルカ・ピファレッティ

稲庭:美術館へ「展示を見に行く」のではなく、「庭に遊びに行こう」とか、「ちょっとお茶をしに行こう」とか、もう少し日常の延長線上にミュージアムがある、という感覚ですね。

フィンドレー:今回、日本で見てきたなかで特に印象的だったのは、活動について伝える際に、「健康」や「ウェルビーイング」を前面に押し出していないことです。「これをすれば、もっと健康になりますよ」と言うのではなく、「あなたはこういうことに関心があるようですね。続けていくことで、よりよい方向へ進んでいけるかもしれませんね」と伝える方がよいのだと思います。

健康やウェルビーイングは、外部からの医療的な介入だけによってもたらされるものではありません。一人ひとりがかけがえのない個人として認められ、その声に耳を傾けてもらい、より広い社会とつながることによっても育まれます。今回の滞在を通して、そのことを強く感じました。

ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーの彫刻庭園で過ごす人々。中央の作品はエイミー・スティーヴンス《Waking Matter II》(2025年)。撮影:ルカ・ピファレッティ

贈り物とときめきが生まれる場所へ

稲庭:アートコミュニケータと一緒に活動をつくるとき、私は、Win-WinやGive and Takeではなく、ミュージアムではGift-Giftの関係をつくろう、と言っています。作品自体もギフトですし、私たちが作品を人から人へとつないでいくことも、ギフトを手渡していくようなものだと考えています。

フィンドレー:また、アートコミュニケータ自身も、その役割を担うことを通じて、豊かなウェルビーイングを得ているように感じました。それは、関わるすべての人にとってよいものなのだと思います。今回の日本滞在では、「ギフト」という考え方が繰り返し現れました。四国こどもとおとなの医療センターでも出会いましたし、福岡では、あるケアワーカーが「ギフト・ビューイング」という方法を考案していました。それは、誰に贈り物を届けたいか、そして、その贈り物をどのように別の人へ手渡していくかを考えながらアートと関わる方法で、コミュニケーションを一方通行ではないものとして捉え直す試みでした。

稲庭:「文化的処方」の定義を考えていく過程で、関係者が集まり、文化的処方を多角的に考えるワークショップを行ったことがあります。そこで出てきたキーワードの一つが、「ときめく」でした。心が自然とわくわくしてしまうような状態です。「ときめき」や「心がぽかぽかするような感覚」が育つ、耕された土壌のようなものがあって、その環境を耕すことが文化的処方なのではないか、という意見が出たんですね。

気持ちを意図的にポジティブにするというよりも、思わず「ときめいてしまう」という、自分では制御できない心の動きが自然に立ち上がること。アートや文化活動はそのきっかけになる、というのが、私たちの活動の根底にある考えです。

ジェーンさんに、ぜひ聞いていただきたい言葉があります。もうずいぶん前のことですが、私が勤務していた美術館を学校団体で訪れた、小学4年生の感想文です。美術館で一人の少年を描いた絵に出会い、後日、次のような感想文が送られてきました

「私は美術館にいったことはあるけれど、あまり良い印象が残っているわけでもなく、今日この美術館に来ました。そして、今日は美術館がとってもとっても好きになりました。今度、家族みんなに『美術館てこんなに心がぽかぽかして、たとえ相手にあっていなくても、話をしていなくても相手がどのような気持ちでいたかがわかる』ってことを教えてあげたい。」(原文ママ)

フィンドレー:本当に心を揺さぶられます。まさに、先ほどお話ししていた二つの核となる要素――アートを通して誰かとつながること、そして、その体験をほかの人へ手渡していくこと――が、ここで一つになっていますね。

稲庭:作品と出会って、「自分がこの体験から受け取ったものを、家族みんなに伝えなければ!」と強く感じていて、その思いがとてもストレートに表現されていますよね。このときの女の子の心の動きは、作品への応答であり、まさに「ときめき」です。美術館は、こうした心の動きが生まれ得る場所です。文化的処方の核となるのは、こうした「応答」の経験なのかもしれないと考えています。作品には人の存在が宿っています。彼女は時空を超えて、画家が描いた絵の中の少年と出会い、その出会いを通して、自分自身の中に生まれた「応答」に気づいています。

フィンドレー:アートを見ながら、自分自身を見る。自分自身に気づく、ということですよね。それは、何百年も前につくられた作品でも可能ですね。

稲庭:そうですね。だから私は、アートコミュニケータとは、対話を大切にするだけでなく、一人ひとりが文化に参加し、そこに応答している状態をつくり出す人だと考えています。

フィンドレー:そうですね。今回のさまざまな体験を通して、コミュニケーションそのものにケアが織り込まれているのだと感じました。

稲庭:ケアとコミュニケーションが分かちがたく結びついているということは、まさに文化的処方が大切にしている要点です。文化的処方というと、何かを「与える」仕組みのように聞こえてしまうことがあります。けれども、その内実は、人がアートや文化と出会う土壌を耕し、その人の中にある「ときめき」が自然に立ち上がる環境をつくることです。ジェーンさんが日本各地で感じた「人と一緒に何かをする」という感覚と、ギフトが循環していくという感覚。それこそが、文化的処方の核にあるものだと、改めて思いました。今日はありがとうございました。