「つなぐ人」を支える人たち

「こと!こと?かわさき」プロジェクトマネージャーインタビュー

| [取材・文]ああともTODAY編集部

「こと!こと?かわさき」プロジェクトマネージャー3人が立っている。左からたまおきさん、たからださん、こんどうさん。

「こと!こと?かわさき」とは?

「ああとも」を運営している『COI-NEXT 「共生社会をつくる」アートコミュニケーション共創拠点』(以下、ART共創拠点)では、「ああとも」以外にも、アートや文化的活動を通じて望まない孤独や社会的孤立の解決に取り組む様々なプロジェクトが進行しています。

ART共創拠点の具体的な活動の場の一つが神奈川県川崎市です。川崎市では、誰もが市内の地域の文化的活動に参加したり、市内のミュージアムなどの芸術資源に触れることができる環境を作り出すことを通して、多様性や社会的包摂の実現、地域の様々な社会問題の解決を目指す「アート・フォー・オール」の取り組みが行われています。この取り組みの一つとして、ART共創拠点と川崎市が連携して立ち上げたプロジェクトが「こと!こと?かわさき」です。

画像をクリックすると「こと!こと?かわさき」のウェブサイトが開きます。

しかし「こと!こと?かわさき」の主役は、ART共創拠点でも川崎市でもありません。プロジェクトの主役は市民です。市民がアートコミュニケータ「ことラー」となり、医療や福祉の現場とも連携しながら、このまちのアートや文化とそこに暮らす人々をつなぐ活動を起こし、コミュニティの中で育んでいくことを目指して、2024年4月から「こと!こと?かわさき」プロジェクトが始まっています。

その活動は「こと!こと?かわさき」のウェブサイトでも詳しく発信されています。ART共創拠点と川崎市は、まちと人と文化を「つなぐ人たち」である「ことラー」が活動を起こしていく場を作り、彼らに伴走しながら川崎に根ざした文化的活動を共創しようとしています。

「こと!こと?かわさき」では、3人のプロジェクトマネージャー、近藤乃梨子さん、玉置真さん、財田翔悟さんが働いています。お話を聞いてみると皆さんとてもユニークなバックグラウンドを持っています。どんな思いでプロジェクトを運営しているのでしょうか? 今回は3人にお話を聞きました。

プロジェクトマネージャーはどんな人たち?

ああとも:「こと!こと?かわさき」プロジェクトマネージャーの皆さんが、もともとアートや文化的な活動にどのように関わってきたか、まずはお聞きしたいと思います。

近藤:わたしの場合は、もともと絵を描いたり物を作ったりするのが好きで、物心ついた頃には美術に関わる仕事がしたいなと思っていました。身の回りのものを自分で作る家族だったので、その影響もあるのかもしれませんね。
美術館を探検する絵本を読んだ影響で中学校の文集には、「将来の夢は学芸員」と書いています。展覧会を作るだけでなく、美術館という場所でお客さんを迎えるという、できごと全体を作るのが素敵だなと思ったんです。高校でも美術が好きな気持ちは変わらず、学芸員資格が取れる女子美術大学芸術学部芸術学科に進学しました。

こんどうのりこさん
近藤乃梨子さん

大学で学ぶようになって、どうも研究が肌に合わないな、と思うようになりました。本や美術史は好きだけれど、そこから論文を書く気持ちになれなかったんです。むしろ面白かったのは、絵画の遠近法や構図を分析する造形学です。眼前の図像に対して迫れるのが魅力的で、卒論もそのアプローチで書きました。卒論を書いていた頃、先生からアメリア・アレナスの本を紹介されたんです。そこで対話型鑑賞を知りました。「私がやりたいのはこれだ!」と思ったのを今でもよく覚えています。
でも卒業間近で、対話型鑑賞に関わる就職先なんて見つからない。それでも何か美術に関わる仕事ができたらと思い、色々な美術館でアルバイトなどをしながら過ごしていました。

そんな中で、東京都美術館でアート・コミュニケータ事業の「とびらプロジェクト」が始まるのを知りました。話を聞きに行ったら、プロジェクトを立ち上げた伊藤達矢さんと稲庭彩和子さんが、対話型鑑賞のこと、アートやその鑑賞を通して人を繋げるアートコミュニケータ「とびラー」のことを話していました。まるでこれまで自分が考えてきたことが、きれいに言語化されているように思ったんですね。「これはとびラーになるしかないな」と思ってすぐに応募しました。残念ながら初回は選考で落ちてしまいましたが、二度目でとびラーになりました。対話型鑑賞をやるようになって本当に楽しかったです。ずっとやりたかったことに、ついに手が届いたと思いました。

とびラーの活動と並行して、NPO法人芸術資源開発機構(ARDA)でコーディネータの仕事をするようになりました。佐倉市立美術館の「ミテ・ハナソウ」のコーディネーターや、杉並区の小学校でのアウトリーチ、サントリーホールでの音楽の対話型鑑賞のプロジェクトなど、対話型鑑賞を軸にした色々なプロジェクトに関わってきましたね。

その後「とびラー」で知り合った仲間と一緒に、自分でも一般社団法人アプリシエイトアプローチ(以下、アププ)を立ち上げました。2023年から「こと!こと?かわさき」の仕事がフルタイムで始まったのでアププは少しお休み中ですが、これまでは、対話型鑑賞プログラムの企画運営や、アートコミュニケータ関連プログラムのコーディネートなどを事業として行なってきました。

ああとも:近藤さんにとっては、アートのある場所に人を迎え入れるという小さい頃の思いが、その後の対話型鑑賞に対する興味へとつながっていったんですね。玉置さんの場合はどうですか?

玉置:僕も物を作るのが好きだったのは近藤さんと似ていますね。小さい頃は写真館を経営していた祖父と過ごす時間が多かったんです。祖父は自分で身の回りの物を作る人だったから、その影響はあると思いますね。
だから、物を作る仕事に興味がありました。10代の頃は映画が好きだったから、高校卒業後は映画監督を目指して専門学校に行きました。実は一度だけ映画監督をやっているんですよ。でも映画監督は合わなかった。仲間がバイトを休んで監督に協力してくれたのですが、失敗して「僕はもうだめだ」と思ってそれ以上映画作りができなくなってしまいました。

たまきまことさん
玉置真さん

映画監督は諦めて、アルバイト先でDTPオペレータなどもしたけれど、平面だとあまり手応えがない。「立体の方が面白そう」と思い始めた頃、都内に週2回開かれる木工塾を知って通い始めました。結局一年半通って、そこで良い仲間にも出会って、最終的に横浜で共同の木工所を作ることになりました。ビスや釘を使わない「組手」の技術での家具作りです。でも木工だけで食べていくのはやっぱり大変です。「この先どうしようかな」と思っていた時に、アーティストで現東京藝大学長の日比野克彦さんのトークに行く機会がありました。そしてトークの後に、日比野さんに名刺を渡したら「え!木工やってるの?」と。どうやらその時、日比野さんはご自身のアートプロジェクトで木工ができる人を探していたみたいなんです。それで、お手伝いをするようになりました。

僕にとっては、これがアートへの入口だったんだと思います。それから日比野さんの岐阜県での仕事を手伝ったり、東京に戻ってきてからは、千代田区にあったアートセンター「3331 Arts Chiyoda」(以下、3331)で働くことになりました。3331では8年間、施工だけでなく、広報・コーディネーターなど、幅広く担当しました。

3331で働いていた時期は「アートってなんだろう?」と改めて考える機会になりました。東京都美術館のとびラーに参加したのもこの時だし、そこで近藤さんにも会いました。
僕はアーティストじゃないし、専門家でもない。「アート」ってちょっと難しい感じがしますよね。でも、同時に日比野さんや3331の仕事を通して、その面白さや可能性も感じているんです。そんなことを考えるうちに、次第に「アートと社会がお互いに少しずつ歩み寄れたら良いのでは?」と考えるようになりました。

タマプロのウェブサイト

それで、3331で知り合ったアーティストと一緒に「玉置プロダクション」(以下、タマプロ)という会社を作って独立しました。タマプロでは柔軟な発想や多様な価値観を持った「アーティスト」を社会にインストールするという視点で、ワークショップやアートプロジェクトを企画・運営しています。今は「こと!こと?かわさき」もあるので忙しいんですが、これまでお世話になってきたアーティストからの依頼だけはお受けするようにしています。

ああとも:日比野さんとの出会いからアートへと活動が広がっていったことで、アートやアーティストと社会を繋げたいという思いへと自然に繋がっていったんですね。財田さんの場合はいかがですか? 実は財田さんはアーティストでもあると伺っているのですが……。

財田:はい、絵画を制作しています。子どもの頃から絵を描くのが好きでしたね。高校の時に熱心な美術の先生が勧めてくれたので、美大進学を志したのも自然なことだったと思います。受験に思った以上に苦労したのは少し計算外でしたが(笑)。最終的には東北芸術工科大学(以下、東北芸工大)に進学しました。

たからだしょうごさん
財田翔悟さん

山形の環境や東北芸工大の校風も自分には合っていたみたいです。絵を描くのが楽しくなって、良い友だちにも恵まれて、これは絵描きとして生きていくしかないぞ、と思うようになりました。「もう少し絵を描きたい、絵に近くにいたい」と思って大学院まで進学したんです。でも一つだけ問題がありました。

大学院に進学するとき、両親や家族には「美術の先生になるんだ」と言っちゃったんですよね。もちろん教員専修免許も取りましたが、やっぱり絵を描くのが中心になってしまう。次第に家族の中には「あれ?」という雰囲気が流れ始めてしまって。

「これはまずい」と思ってコンクールに出展するようになりました。実績ができたら状況が変わるんじゃないかと思ったんです。幸いなことに、大学院修了直前にグランプリを受賞。その授賞式で審査委員長の本江邦夫さんの言葉で、父は「こいつは絵を続けるんだ」と理解してくれたようです。もちろん受賞してもまだ絵では暮らせないんですが、絵を続けながら仕事をするという生き方を理解してくれるようになりました。

たからださんのウェブサイト

大学院を出てからは、先輩が紹介してくれた山形の会社で働いていました。まちづくりを手掛けている会社で、地域にある公民館のような施設で、管理やワークショップ運営などを担当しました。アートや文化は小さい頃から身近に接していましたが、地域社会や人と触れあう仕事の魅力を知るきっかけは、この仕事にあったのかもしれません。この会社には数年間勤めていたのですが、残念なことに会社が無くなることになってしまったんです。悩みましたが、山形での暮らしも学生時代からあわせて10年程経っていたので、これを機会に山形を離れることにしました。

偶然、新潟の長岡造形大学で求人が出ているのを目にして、応募したら採用してもらうことができました。それで2020年から建築環境デザイン学科というところで教務補助として働くことになったんですね。「こと!こと?かわさき」は、2023年から近藤さんと玉置さんによって動き始めましたが、僕はその頃、まだ長岡にいたんですね。この仕事を終えて、2024年の春から一緒に働き始めました。

ああとも:対話型鑑賞の場を作ってきた近藤さん、まちや社会とアートを繋げてきた玉置さん、そして仕事をしながらアーティスト活動もしてきた財田さん。皆さんそれぞれに、アートや社会との関わりのストーリーがあるんですね。この「こと!こと?かわさき」事業には、どういう経緯で関わることになったんですか?

近藤:3人の中だと私が最初ですね。実は「こと!こと?かわさき」や「ああとも」を運営している「共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点」事業の育成期間の時に、対話型鑑賞プログラムのお手伝いを少ししていたんです。その流れで声をかけてもらいました。
私が川崎市に住んでいるのも大きかったと思います。今まで色々な場所で対話型鑑賞やアートコミュニケータ事業に関わったけれど、いつも「自分が住んでいないまち」でした。「初めて住んでいるまちで自分の力を活かせるかもしれない」と思ってお引き受けしました。
それから一緒に事業をやっていく人を考えて、とびラーで一緒だった玉置さんに声をかけたんです。

玉置:「こと!こと?かわさき」の話が来た時、「まちの中でアートコミュニケータが何かを始めていく」っていうところにすごく惹かれましたね。僕が考えてきた「アートの可能性を社会の中で考える」ことにもつながるプロジェクトだと思いました。

ああとも:2023年度、始動した1年目は2024年度に「こと!こと?かわさき」を始める準備期間だったと思います。準備はどのように進めたんですか?

玉置、近藤:準備はゼロからでしたね(笑)

近藤:川崎市の担当の方と一緒に「とびらプロジェクト」の講座に通って、今後の事業についての共通理解を作るところから始めました。次第に事業のイメージは固まってきましたが、そこに至るまでのタスクとスケジュールを立てるのも一苦労です。プロジェクト名を決めて、事業の枠組みを決めて、フォーラムを開催して、コミュニケータ「ことラー」の募集をして……忙しい一年でした。

財田:その頃、僕はまだ新潟の長岡に……(笑)

近藤:事業が始動したらもっと忙しくなるから、もう一人来て欲しいと昨年から話していたんです。財田さんが来てくれて助かりました。

玉置:準備を進める中で、活動の柱となる「まちと人」「鑑賞」「ケア」という三つの講座の形も見えてきて、フォーラムを開いてことラーを公募したら、170人以上の方(5.7倍)に応募頂くことができました。今年度、いよいよプロジェクトが始まり、そこから選ばれた40人の方と活動しています。「まちと人」を玉置、「鑑賞」を近藤さん、「ケア」を財田さんが担当しています。

ああとも:望まない孤独孤立を解決する「文化的処方」という考え方からすると、アートや文化活動がテーマの「鑑賞」、川崎市という地域やコミュニティに目をむける「まちと人」、そして医療や福祉と関わる「ケア」の三本柱はピッタリ必要な要素が揃った感じですね。
4月から実際にプロジェクトがはじまりました。最後に、今感じている手応えや、今後の活動に期待していることを聞かせてください。

玉置:「まちと人」では、先日開催した2回目では、ことラーの皆が考える「まちの文化芸術資源」を考えてもらったんですが、色々なアイディアが出てきました。美術館や博物館だけでなく、近所の公園や飲食店も「私にとっては大事な文化芸術資源だ」って。川崎のまちなかでの活動ならではの発想ですよね。僕は「アートや文化とまちをどうつなげるか」を考えてきましたが、ことラーの柔軟な発想にすごく可能性を感じています。今後活動がどう広がっていくか、すごく楽しみです。

財田:僕は、ことラーがいきいきとしているのがとにかく印象的ですね。皆さんそれぞれの得意分野がありつつ、未知のものにも積極的な方々です。「ケア」の講座を担当していますが、医療や福祉の分野については、正直に言えば、僕自身も知らない事も少なくないんです。でも、積極的なことラーたちと一緒に自分自身も学ぶことができているのがとても面白いです。常に自分自身を更新しながら楽しんで活動を広げていけたらと思っています。

近藤:アートを介したコミュニケーションの場では、しばしば奇跡的なことが起きるんですね。先日ことラーと話した時「奇跡的だけれど、ことラーが集まったら必然でもある」という話が出ました。確かにそうだけれど、でもそれだけじゃないとも思ったんですね。
奇跡が起きるには、やっぱり適切なデザインが必要なんです。プロジェクトを動かす立場になって、それがよく分かりました。「こと!こと?かわさき」のプロジェクトを通して、人々の生活や人生が豊かになる瞬間を沢山作り出したい⸺そのために、ことラーが存分に活動できる環境を整えられたらと思っています。

玉置:「とびらプロジェクト」のような先例があるし、僕らもそれに関わった経験があります。もちろんそれが役立つこともある。でもそれだけだとダメだと思うんです。川崎という場所でことラーと一緒に、新しくどんなストーリーを紡げるかを考えないといけない。
そのためには、僕らもこのプロジェクトや川崎のまち・文化を面白いと本気で感じていないといけないし、それを言葉にして伝えていくことで熱が広がって、活動が生まれる土壌ができていくのだと思います。その意味で、楽しんでプロジェクトを運営していけたらと思っています。

ああとも:「こと!こと?かわさき」のこれからの展開がますます楽しみですね。今日はありがとうございました!