現在、各地でアートを通じて「共生社会」を目指す取り組みが進んでいます。そんな中、新潟の長岡造形大学に拠点を置く福本 塁准教授が、三重県名張市を舞台にしたプロジェクトで注目を集めています。福本さんは「文化的処方」を活用し、「名張市文化リンクワーカー育成プロジェクト」を展開中。アートを通じて地域のつながりを深め、新しい形のコミュニティを生み出そうとしています。そんな福本さんの取り組みと未来のビジョンに迫ります。
歴史ある街並みと現代の課題が交差する名張市
三重県名張市は、20年以上前から「共生社会」をテーマに掲げ、住民同士が支え合うコミュニティを築いてきた先進的な地域です。地域づくり組織や「まちの保健室」が、住民同士の支え合いを実現し、福祉のネットワークを築いてきました。
2024年秋、長岡造形大学(新潟県)の福本塁さんの案内で名張の街を歩くことになりました。スタートは「旧町」(きゅうちょう)と呼ばれる中心市街地。この地区には江戸時代後期から昭和初期にかけて建設された町家が現存し、江戸時代に整備された水路が流れる街です。かつては大阪・奈良方面と伊勢を結ぶ初瀬(はせ)街道の宿場町として栄えたこのエリアも、今では観光客もまばらです。高齢化、若い世代の人口流出、地域経済の衰退がゆっくりと進んでいます。
「少子高齢化が進む中、その仕組みを次の世代に引き継ぐことが大きな課題」と福本さんは指摘します。名張市の高齢化率は32.2%(2020年10月名張市調べ)で、全国の高齢化率28.8%(2020年10月内閣府調べ)と比べると3.4%高く、名張市は急激な高齢社会への対応が求められています。
「従来の問題解決型のアプローチだけでは若い世代を巻き込むのは難しく、もっと人々の内側から湧き上がる動機に注目する必要がありますね。街、地域、内外の人々をつなぐ役割をするリンクワーカーの存在が重要だと思います」と、福本さんは言います。
町屋の再生から始まる、名張の未来
最初に福本さんが案内してくれたのが『FLAT BASE』(フラットベース)でした。築100年の町屋を改修し、新たに生まれ変わったコワーキングスペースです。現代的な意匠のガラス引き戸が取り付けられ、通り過ぎる人たちが室内の様子を伺い知ることができます。シェアオフィスやイベントスペースとしても利用され、多目的な拠点として親しまれています。
ここを運営する一人が、元小学校教員の北森仁美さんです。ふらっと訪れた私たちを、北森さんが笑顔で迎えてくれました。福本さんが名張を初めて訪れたのは2023年7月。1年ほど前に知り合った2人ですが、まるで旧知の仲のような雰囲気で会話が弾んでいました。北森さんは大阪府出身。大学卒業後、三重県で教員を務めた後、夫の実家がある名張市へ移住しました。社交的な性格の北森さんはすぐに名張に溶け込み、地域とのつながりを築いていきました。
「特に夫の祖父とは気が合いました。パソコン操作で困ると、すぐに電話があるんです。『ほな、行きましょか』と祖父に会いに、この家によく通いました。街との関わり合いが多かった祖父の家は、近所の人たちが気軽に立ち寄れる場所でした。日中、鍵なんて掛かっていたことはありませんでしたね」と北森さんは語ります。しかし、祖母が亡くなり、祖父が施設で暮らすようになると、家から明かりが途絶え、家全体がまるで時が止まったように感じられるようになりました。その時、北森さんは大きな不安に襲われたといいます。
大人たちのワクワクが、地域の活力になる
「家から人の温かさ、やりとりが消えてしまった。この先、どうなってしまうんだろうと、矢も楯もたまらなくなりました。今、思えば、この家を通して街の未来を思ったのかもしれません」。この時の思いが、家を活用して再び人が集まる場を作りたいというきっかけになったそうです。2022年3月、祖父や地域の思い出が詰まった家は、大人が集まり自由に交流できるコワーキングスペースとして生まれ変わりました。
「大人たちがワクワクできる場所を作れば、その周りにいる子どもたちに想いは届くはず」と北森さんは考えます。フラットベースは、ただのリノベーション物件ではなく、地域全体に新たな活気を取り戻したいという願いが込められています。
はじめてフラットベースを訪れた時、福本さんは北森さんの話やこの場所から「同じ空気感」を感じ取りました。福本さん自身、3代続いた理容室兼住宅を駄菓子屋に改装して、地域の人や長岡造形大学の学生たちがつながる「駄菓子屋ハブ」を2020年から長岡市の商店街で運営していたのです。「場所」が生まれたことにより、学生と地元の接点が生まれました。店内では作品展示があり、駄菓子を買いに訪れた人が思いがけず作品に触れることもあります。すると、おしゃべりだけの一時的な交流ではなく、学生たちの作品を通じて対話が生まれます。対話によって理解や興味が芽生え、人と人がつながっていくのです。
「空き家再生で重要なのはお金だけではなく、人々の交流や思わぬ選択肢が広がる機会をどう作るか。地域にいる子どもたちが、『この場所には何もない』と思って成長するのではなく、『ここは楽しい』と思える場所を作ることが大切だと思うんですよね」(福本さん)
奇しくも遠く離れた場所で、同じ手法を用いて地域再生活動をしていた二人は、すぐに意気投合します。福本さんは初対面の北森さんに「これから名張で10年間活動していきたいので、一緒に活動してくださる人を探しています」と話しました。北森さんも「面白そうですね」と即答。共に名張で活動をしていくことになります。
北森さんは福本さんと出会い、「大学の先生という印象が変わった」と笑います。「福本先生は名張に通ってくれ、私たちの活動や悩み、思いを理解してくれています。そして、なにより共感してくれている。『一緒に作る人』という感覚ですね」
北森さんは、外から来た福本さんとの出会いを通じて、名張に住む人との関わりが広がったそうです。挨拶をする「顔見知り」は多いけれど、深く話をしたり、何か一緒にする仲間のような人はそれほど多くなかったと言います。「フラットベースをやっていたけど、実は街と近くなかったんですね。福本先生が来てくれたことで、街に対して背中を押してもらったような気がします」
酒屋の夫婦が灯す、名張の文化の光
フラットベースから歩いて数分の場所に、一の鳥居と呼ばれる大きな石の鳥居があります。そのすぐそばにあるのが、角田勝さん・久子さんが営む『はなびし庵 すみた酒店』です。築170年以上の歴史を誇る商家である建物内に店舗があり、人気の地酒を取り扱っています。普通の酒店と違うのが展示スペースです。店舗の大部分を利用して、江戸から昭和初期にかけての品々を展示しているのです。これらの品々は、角田家の蔵で大切に保管されてきた「お宝」です。それらを『伊賀まちかど博物館』として1999年から一般公開しています。しかし、福本さんによると、角田夫妻の面白さが本当に際立つのは店舗自体ではなく、家の中にあるということです。
「ささ、どうぞ」と勝さんの声に促され、奥座敷へと通されます。床の間に鎮座する三代目当主の角田半兵衛夫婦坐像の横に付け書院があり、ここを小さな「劇場」に改装し、影絵を上演しています。実は角田夫婦は『劇団ふたり』として地域の歴史を影絵で伝承する演劇ユニットなのです。「初めて見たとき、この地には、すでに文化的処方があると感じたんですよ」と福本さんは角田夫婦の活動を高く評価しています。
影絵を制作・上演するのは久子さんです。趣味で始めた影絵の魅力に夢中になり、名張の歴史や文化、伝統行事を織り込んだオリジナルの歴史影絵劇を2004年から上演するようになりました。演目に地域に縁のある『名張藤堂家初代高吉公物語』や『乱歩誕生』、街道の四季を描写した『初瀬街道とおりゃんせ』、なかにはバイリンガルの話まであります。地域の歴史を俯瞰し、広い世代に訴えかける幅広い演目です。影絵を始めた頃は観光客相手に始めたそうです。「そうすると、お酒をたくさん買って行かれるんですよね」と久子さんは笑います。しかし、ある出来事がきっかけで、お酒の販売促進以上の影絵の力に気がついたそうです。「数年前、福祉施設に入所しているおばあちゃんがいらしたんです。影絵を見た後、目にいっぱい涙をためて何度もお礼を言われました。あとで聞くと、施設ではとても気難しい方だったそうで。普段は喜怒哀楽の表情を出さないのにと、付き添いの人たちも驚かれていましたね」。久子さんは自分たちの影絵の力で人の心を動かしたことを目の当たりにして、大変感動したと言います。
「福本先生は長岡の学生さんをお店に連れてきてくれます。それで、この影絵を見せて、これが社会的・文化的処方のひとつと言っていただきましてね。私らそんな効果があるとは、なかなか思いつかなかったけどね」と勝さん。すかさず久子さんが話を引き取ります。「文化的処方なんてね、私ら目から鱗でした。前はたくさんの観光客に見てもらいたいと思っていましたけど、福本先生とお話しするようになって、数ではないなって思うようになりました。バスでたくさんやって来る観光客も大事やけど、近くに住んでいる人に見ていただきたいと思うようになりましたね」
現在、福本さんの拠点は新潟の長岡造形大学ですが、その新潟から学生たちと共に足繁く名張に通い、街の人々と関わりながら文化的処方を「発見」しています。
「僕は文化的処方を新しく開発するだけでなく、すでにこの街に存在する影絵のような文化的処方を発見することが、同じくらい重要だと思うんです。もしその回路が滞っているなら、うまく流れるようにする必要があるし、それをつなぐ仕組みを作る必要がありますね。ゼロから作るデザインではなく、現状のものを深く理解し、その背景を読み解くことで、いつか私たちが離れたとしても流れ続けるような仕組みを作りたいと考えています」
名張市には、多様なコミュニティやボランティア、地域づくりに取り組む人々が多く存在します。福本さんは、こうした地域の宝とも言えるレガシーのような人々に対し、名張を担う若者がインタビューを行う『聞き書きプロジェクト』を始めています。多様な人々と出会うことで、聞き手は文化リンクワーカーとしての役割を理解し、自然とその役割を果たすようになります。聞き書きはデータベースとして蓄積され、記録は作り手(アーティストやクリエイターなど)によって、さまざまな形で発表されていく予定です。
『まちの図工室』が紡ぐ、新たな交流
最近、福本さんは100年続いたクリーニング店の空き店舗に出入りしています。ここに文化リンクワーカーが集う『まちの図工室』という活動拠点を作ったのです。この場所は「つくることを通じて人々が交流する拠点」として、最新の制作設備を備えています。アーティストでもある長岡造形大学の山口貴一さんが常駐し、文化リンクワーカーの育成やものづくりを進めています。「文化的処方」という言葉には、一見難しそうな印象を受ける人もいるかもしれません。しかし、福本さんたちは実際の行動や活動を通じて、その間口を広げています。
「まずは、理論的に成立し得る事例を社会実装することが重要です。名張だけでなく、人口減少が深刻で、2040年には大都市圏も人口が減り始めるという試算があります。合理的なデジタル化も大事ですが、人とのつながりというアナログの部分をより良質なものにする必要があります。そうしたモデルを作り、小規模で予算がない街でも活路を見出せるモデルケースを実装したいですね」と福本さんは語ります。
名張市で進む福本さんの活動は、単なる「空き家再生」や「地域活性化」の枠を超えています。それは、地域の歴史や文化に根ざしながら、そこに生きる人々が主体的に未来を描く力を引き出す試みです。文化リンクワーカーの育成や、空き店舗を活用した拠点作りといった具体的な活動は、地域全体が自らの手で「未来をつくる」可能性を示しています。
地域が抱える課題は決して簡単に解決できるものではありません。しかし、「文化的処方」という視点を通じて、名張市では地域の魅力を再発見し、次世代へとつながる新しい価値観を築きつつあります。福本さんが描くこのビジョンは、地域社会の未来を考える上で重要な示唆を与えてくれるでしょう。